出版社内容情報
錯綜して絡みあう両者の関係を定位し直し、脱構築的読解によって精神分析の知の刷新を目指す、導きの書。
内容説明
精神医療の現場を覆う「科学的エヴィデンス主義」に抗し、「対テロ戦争」・難民問題に揺れる現代社会の倫理的諸課題と向き合う。デリダの思考を触媒とし、「脱構築としての精神分析」を指し示す導きの書。
目次
第1部 耳について(脱構築と(しての)精神分析―不気味なもの
ラカンを超えて―ファロス・翻訳・固有名)
第2部 秘密について(告白という経験―フーコーからデリダへ;埋葬された「罪=恥」の系譜学―クリプトをめぐって)
第3部 灰について(終わりなき喪、不可能なる喪―アウシュヴィッツ以後の精神;ヘーゲルによるアンティゴネー―『弔鐘』を読む)
第4部 主権について(絶対的歓待の今日そして明日―精神分析の政治‐倫理学;来たるべき民主主義―主権・自己免疫・デモス)
著者等紹介
守中高明[モリナカタカアキ]
1960年東京生まれ。早稲田大学法学学術院教授。詩人。フランス文学・思想専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
はる
5
知識がないので難しく感じた。触れたことがない分野は面白いような、わからないような、、2021/05/06
カイロス時間
5
精神分析については知識がなくよく分からないので、もっぱらデリダ的思考に触れるために読む。灰は分かりそうで分からない、気になる概念。散種はとても好き。体系や全体といった、とかく権威をまといがちなものが、実はその下に非正当的なものを従えていることを指摘する、デリダのやり方。卑近に言えば、あえて(だが必然的に)「主流」から逸れていく態度には、なんだか励まされる気がする。なぜだろう?たぶんそれは、主流あるいは中心から逸れていっても、いやむしろ逸れることでこそ、人間的な価値を守れるということを教えてくれるからだ。2019/12/14
瀬希瑞 世季子
2
散種としてのデモスは、ファロス=貨幣による諸シニフィアン=諸商品の価値決定を超えた、固有の名を持たない「誰でもよい者」であり「計算不可能な特異性」を制度、法、経済に向け差し出し、政治へと組み入れることを要求する。2023/01/03
こややし
2
面白かった。2001.9.11以降2017年の現在まで、「倫理学的ー政治学的転回」以降のデリダの問題意識は、アクチュアリーが増していると思われ、何か切実に惹きつけられもする。この本はその転回以降のデリダの問題系を精神分析との関わりを軸にして、大胆に、でも分かりやすく論じている。後期デリダの問題系を、現在の政治状況への批判に繋げる守中さんの言葉は激しい。その批判を真面目に受け止めたい。今後の思索の展開が楽しみ。2017/01/21
しまざき
1
フロイトを分かろうと思って読み始めたラカンが分からないのでこれを読み始めた。デリダが何を言っていた(と筆者が主張している)かはよく分からなかったが、フロイト(特に「不気味なもの」)への理解は少しだけ深まった。2021/01/07