内容説明
もしも日本の科学ジャーナリズムの批評性が高かったならば、「技術」は弱者にもっと寄り添ったものとなり、「科学」にはもっと多くの人々が関心を寄せ、科学技術政策にも影響を与えたのではないか。戦後日本の新聞科学ジャーナリズムはどこかで道を見誤り、科学と技術をきちんと伝えてこなかったのではないだろうか。科学記者歴30年。3.11を契機に過去の記事を丹念に追いながら、新聞科学ジャーナリズムを根本から検証。科学を知的営みととらえ、批評精神をもって向き合う科学ジャーナリズムを提案する。
目次
第1章 時代の流れを見落とした
第2章 いつも国策とともにあった
第3章 「遺伝子」をもっと掘り下げていたら
第4章 「夢とロマン」の科学報道
第5章 科学の現在から未来へ
第6章 科学を人々の手に取り戻す
著者等紹介
尾関章[オゼキアキラ]
1951年東京生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了(物理学が専門)。1977年朝日新聞社に入り、83年から科学記者。ヨーロッパ総局員、大阪、東京両本社の科学医療部長、論説副主幹などを経て2013年退職。主に素粒子物理、宇宙論、量子論、生命倫理など基礎科学とその周辺を取材し、論説時代は環境、原子力問題も担当した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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シロクマとーちゃん
7
朝日新聞の科学部の元記者が戦後の科学報道のあり方を振り返る。米ソの宇宙開発競争が始まった頃、日本は原子力発電の推進を決め、科学技術庁が生まれた。それ以降、科学報道の流れは、国策中心であり、花形は「科技庁担当」記者だった。一方、純粋科学を担当していた著者が紙面をとるためにはノーベル賞かロマンを絡めるしかなかったという。しかし、科学には世界認識という哲学的な側面があり、文科系の人間も一緒に考え、議論すべき問題が本来あったはずだ。そうした議論を巻き起こすことがジャーナリストには出来てこなかった。2020/01/10
takao
1
ふむ2021/12/16
ソーシャ
0
元朝日新聞の科学記者が今までの、そしてこれからの科学報道のあり方について反省をしつつ語った本。学者とは違う、ジャーナリストらしい視点が新鮮でした。科学について多角的な視点から報道されるようになる時代は来るのですかね…?2014/02/26