岩波人文書セレクション
文化の読み方/書き方

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  • サイズ B6判/ページ数 292p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784000285575
  • NDC分類 389
  • Cコード C0339

出版社内容情報

フィールドワークをふまえて民族誌を著わそうとする人類学者たちにとって,「書く」行為とは何か.彼らは世界各地の民族・文化とどうかかわり,それをどのように記述してきたか.「劇場国家」論などで知られる著者が,レヴィ=ストロース,マリノフスキー,ルース・ベネディ

内容説明

『ヌガラ』や『ローカル・ノレッジ』で知られる文化人類学者クリフォード・ギアーツが一九八八年に出版した本書で向けられる主たる関心は、「人類学者はどのように書くか」という問題である。そこで主要な人類学者たち、レヴィ=ストロースやエヴァンズ=プリチャード、マリノフスキー、ルース・ベネディクトらの民族誌のテキストを読み解き、観察する側と観察される側の関係性の中で露わになる独善性や作為性をえぐりだしながら、いま人類学者が民族誌を書くことの意義を根本的に問い直してゆく。

目次

第1章 あちら側にいるということ―人類学と執筆の場面
第2章 テクストに内在する世界―『悲しき熱帯』の読み方
第3章 スライド写真技法―エヴァンス=プリッチャードによるアフリカ文化の透かし絵
第4章 目撃者としてのわたし―マリノフスキーの子どもたち
第5章 われわれ対われわれでない人びと―ベネディクトの旅
第6章 こちら側にいるということ―ともあれそれは誰の生活か

著者等紹介

ギアーツ,クリフォード[ギアーツ,クリフォード][Geertz,Clifford]
1926年、サンフランシスコ生まれ、2006年逝去。文化人類学者。マサチューセッツ工科大学、カリフォルニア大学などを経て、元プリンストン高等科学研究所教授

森泉弘次[モリイズミコウジ]
1934年、東京生まれ。早稲田大学大学院(ロシア文学)、北海道大学大学院(英米文学)に学び、現在、青山学院女子短期大学名誉教授、日本翻訳家協会事務局長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

roughfractus02

7
19世紀に出発した人類学は20世紀に「あちら側」の対象を書くことから「こちら側」の私も含む関係を書くことに転換し、記述する自己(西洋文明社会)と記述される他者(未開社会)は圧倒的な非対称の関係から相互に浸透し合う関係になったと著者はいう。本書はG・ライルの「厚い記述」のフィルタを通して、文化相対主義に向かう人類学の自己と他者を巡る読み方/書き方を、レヴィ=ストロースとテクストに内在する世界、エヴァンス=プリチャードの写真的技法、マリノフスキーの目撃する私、我々でない人々を書くベネディクトという4例で巡る。2024/04/12

壱萬参仟縁

1
19,20世紀の思想の国際的な繋がり。これは興味深いことで、フランスのフローベール、ドイツのニーチェ、イギリスのアーノルド、ラスキン、ペーターのつながり。文化人類学でも文学が関係するのであろう。文明人は原発事故を引き起こし、未開人の生存環境をも破壊しかねない。猛省が必要であろう。評者はギアツはインドネシアに行く際、名大経済学部図書室で借りた覚えがあるが、書名までは忘れた。だが、ギアツだけは覚えていた。奥付にある『ローカル・ノレッジ』だけは思い出した。地方の知とは、民俗学や社会学でも継承過程を分析すべきだ。2012/12/29

飛燕

1
民族誌の信頼性は情報が網羅的だとか、理論が精緻だとかに基づくと考えられがちだが、網羅的でも説得力がなかったり、理論が崩壊しても名著と読み継がれる場合がある。実は「いかに書くか」という文学的要素が大事なのだ。特に「著者」。「私」は未知のあちらで観察した・理解し合えたなどの著者の自己主張を前面に押し出すことで、あちら側での経験を読者に信じ込ませるのだ。「あの人が言っているなら信じよう」と。ホワイトを彷彿とさせる問題提起で、歴史学でもこの指摘は軽視できない。とにかく読んでいて暗澹たる気持ちにさせられてしまった2012/11/12

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