出版社内容情報
近代のプロジェクトははたして終焉したのか.ヘーゲルからニーチェ,ハイデガーに至るドイツの思索,そしてデリダ,フーコーらのポスト構造主義とカストリアディスやルーマンたちのポストモダン論を俎上に,モダンとポストモダンの本質を鋭く問いかける.コミュニケーション的理論の卓抜な成果.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
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バタイユやフーコーが出てきて、 面白くなってきた。 バタイユの『呪われた部分』1949年は 放蕩という概念を導きの糸とし、 『至高性』56年もある(394頁)。 バタイユはM・ヴェーバーに依拠しようとし、 宗教史を導きの糸として資本主義の起源を 辿り、道徳規制の起源に至る(405頁~)。 従来の経済学を批判して、バタイユは、 エネルギー経済を 宇宙的に拡大して(傍点) して考察するという 一般的(傍点)観点を 持ち出す(412頁)。 フーコーは、日本社会には必要な人だと思う。 2014/04/23