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内容説明
幕末・維新期の日本において、論説を重視し世論を喚起する公器としての新聞のあり方を追求し続けたイギリス人ジョン・レディ・ブラック。彼が志した理想の新聞は、なぜ挫折に追い込まれたのか。時の政府と衝突しつつも、「政論新聞の時代」を切り開き、日本のジャーナリズム史に大きな足跡を刻んだ新聞人ブラックの全貌にせまる。
目次
はじめに 幕末・明治を生きた新聞人
1 来日までの軌跡(スコットランドに生まれて;オーストラリアへの移住;新天地での成功と挫折;インド、中国を遍歴―「歌手ブラック」として)
2 新聞人ブラックの誕生(ヨコハマ英字新聞戦争のなかで;『ジャパン・ヘラルド』主筆として;『ジャパン・ガゼット』と『ファー・イースト』;『日新真事誌』の創刊;新聞と政府の蜜月―「左院御用」に;「民撰議員設立建白書」掲載の波紋)
3 新聞人としての矜持(仕掛けられた「罠」―「左院お雇い」の顛末;『万国新聞』創刊と発行停止―最後の日々)
おわりに 新聞人ブラックの墓標
著者等紹介
奥武則[オクタケノリ]
1947年東京生まれ。法政大学社会学部・大学院社会学研究科教授。日本近現代史・ジャーナリズム史専攻。1970年、早稲田大学政治経済学部卒業後、毎日新聞社入社。学芸部長、編集局次長、論説副委員長、特別編集委員兼論説委員などを経て、2003年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
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