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フロイトのモーセ―終わりのあるユダヤ教と終わりのないユダヤ教

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  • サイズ B6判/ページ数 277p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784000246972
  • NDC分類 146.1
  • Cコード C0010

出版社内容情報

なぜフロイトは最晩年になってモーセ論を書いたのか──同時代から今日に至るまで多くの者を悩ませてきたその問いに、ユダヤ史の世界的権威が挑む。同時代のコンテクスト、父ヤーコプによるユダヤ教育の実態に歴史家として分け入り、謎の核心に迫っていく。すでに決定版となった書物の待ち望まれていた邦訳、ついに刊行。

内容説明

なぜフロイトは最晩年になってモーセ論を書いたのか―公刊直後から今日まで、多くの者を悩ませてきたその謎に、ユダヤ史の世界的権威が正面から挑む。同時代のコンテクスト、父ヤーコプによるユダヤ教育の実態に歴史家として分け入り、謎の核心に迫っていく本書は、ジャック・デリダやエドワード・サイードをはじめ、幾多の議論を巻き起こしてきた。すでに古典となった書物、待望の邦訳をついに刊行。

目次

第1章 第四の屈辱
第2章 ジークムント・フロイト、ユダヤの歴史家
第3章 父の宗教、息子の宗教、「ユダヤ民族特有の事柄」
第4章 一つの事例史?
第5章 フロイトとのモノローグ

著者等紹介

イェルシャルミ,ヨセフ・ハイーム[イェルシャルミ,ヨセフハイーム] [Yerushalmi,Yosef Hayim]
1932年、ニューヨーク生まれ。イディッシュ語とヘブライ語を母語とし、伝統的なユダヤ教育を受ける。イェシヴァー大学からユダヤ教神学院を経て、コロンビア大学に進む。中世・近世のユダヤ史を専攻し、1966年に博士号を取得。ハーヴァード大学で教鞭をとり始め、80年からコロンビア大学のサロ・ウィットメイヤー・バロン記念講座教授を務める。2009年没

小森謙一郎[コモリケンイチロウ]
1975年、東京都生まれ。2009年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。現在、武蔵大学人文学部准教授。専門はヨーロッパ思想史・哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

きつね

8
p.66「『モーセと一神教』におけるほど、フロイトのラマルク主義が目立って根深いところは他にない。(…)長期にわたって何度も繰り返される圧倒的で普遍的な諸経験に関する心的印象が何とか残され、さらにこれが未来の世代に身体を通じてどうにか伝えられねばならないのである。」こういう個人心理学を集団心理学につなげる(フロイトは同一性とまでいう)部分の危うさが魅力でもありツッコミどころでもある、そのあやうさと魅力に付き合う本といっていよい。テーマはユダヤ性について。徹底的な卓袱台返しのような批判はしないスタンス。2014/10/29

はにまる

2
フロイトの『モーセと一神教』に基づく研究。原典を読まずにタイトル買いしたが、ユダヤ教とキリスト教、フロイトのユダヤ人としてのアイデンティティ、精神分析運動とユダヤの関係など、様々な論点を知れて面白かった。特に興味深いのは、やはりフロイトの父殺しのモチーフ。モーセの死、キリストの死も父殺しで、父ユダヤ教と子キリスト教の関係も、父殺しと見做せる。が一方で、父なる神の下でユダヤ教とキリスト教は兄弟でもある。なぜ「カイン・コンプレックス」でなく「エディプス・コンプレックス」だったのかという作者の問いかけも面白い2024/01/10

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