文化政治としての哲学

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  • サイズ B6判/ページ数 304p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784000246651
  • NDC分類 104
  • Cコード C0010

出版社内容情報

哲学は、自閉的な専門化を排して他の文化領域と交流し、人類の幸福の増進のために人間や世界に関する新たな語彙や語り方の提言を行う「文化政治」の役割を回復すべきだ――。現代の哲学に根底的な問いかけを行ってきた著者が、主張を再論しつつヴィトゲンシュタインや現代の分析哲学を自らの構図に位置づける最後の論集。

内容説明

人間のすべての活動は、現世における人間の幸福をより増進させるかどうかという基準に従って評価・選択される暫定的なものであり、人知を超えた実在との接触により真理を得るという特権的な活動などはありえない。哲学もこうした暫定的な活動の一つである。この視点から著者は、咋今の哲学に対して鋭い批判的診断を行う。哲学はアカデミックに自己閉塞すべきではなく、自然科学を含めた芸術・文学・宗教・政治など他の人間活動との相互交渉を深めることで、人間や世界に関する新たな語彙や語り方の提言を行う「文化政治」としての役割を取り戻すべきであると著者は主張する。プラグマティズムの立場から現代の哲学に根底的な問いかけを行い続けたローティ最後の論文集。

目次

1 プラグマティズムから見た宗教と道徳(文化政治と神の存在の問い;ロマン主義的多神教としてのプラグマティズム;誠実な誤り)
2 文化における哲学の場所(偉業・深遠・有限;過渡的ジャンルとしての哲学)
3 分析哲学の最近の争点から(プラグマティストの目から見た現代の分析哲学;自然主義と静観主義;ヴィトゲンシュタインと言語論的転回;全体論と歴史主義;カント対デューイ―道徳哲学の咋今の状況)

著者等紹介

ローティ,リチャード[ローティ,リチャード][Rorty,Richard]
1931‐2007。元スタンフォード大学教授

冨田恭彦[トミダヤスヒコ]
1952年生。京都大学大学院教授

戸田剛文[トダタケフミ]
1973年生。京都大学大学院准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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田蛙澄

2
ローティの本を読んだのはこれで三冊目だが、晩年の論文集なだけあってマクダウェルやブランダムへの言及があったりして興味深かった。ただ読んでてだんだん彼の言う社会的実践によって編まれる認識が改訂されるとき、それは外部の実在、つまり物自体的なものによる圧迫によって生じるしかないのでは?という疑問が浮かんできた。しかしそれらはプラグマティックな認識の範囲外なので、ことさらそれらを実在とすることに意味はないのかもしれない。 倫理学が道徳に特権的なわけではなく、単に助言者の一人というのはその通りだと思う。2020/02/08

りゃーん

1
私は70年代に物心ついたのでマルキシズムと90年代に青春時代を過ごしたので、ポストモダニズムをいっぺんに相手にしなければならない立場にあった(まぁ、実は二つとも同じものだが)。 その時に役に立ったのがデューイからローティのプラグマティズムとフッサールからメルロ=ポンティの現象学と丸山真男に代表されるリベラリズムであった。 論理的ではなく合理的、つまりロジックではなく、実践的であることを責務とするプラグマティズムはポストモダニストたちを〈文化左翼〉と嗤い者にするのだ。 これは良い解毒であった。2015/04/17

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