長崎 旧浦上天主堂 1945‐58―失われた被爆遺産

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  • サイズ B5判/ページ数 98p/高さ 26cm
  • 商品コード 9784000241656
  • NDC分類 523.193
  • Cコード C0036

出版社内容情報

隠れキリシタンの里を襲った原爆の災禍は、幾度もの受難に重ねられて「浦上五番崩れ」と呼ばれた。被爆後の13年間、廃墟となった厳粛な姿で未曾有の破局を語った「幻の証言者」が、未公開写真によって蘇る。

内容説明

禁教下、密かに信仰を守り続けた潜伏キリシタンの里、浦上。幕末・明治の大弾圧を生き残った信徒は東洋一の聖堂を築くが、やがて原爆という未曾有の破局が降りかかった。幾度もの受難に重ねられて「浦上五番崩れ」と呼ばれた破壊の爪痕を、原爆後の13年間、廃墟の姿で語った「幻の証言者」が、未公開写真によってよみがえる。英文対訳付き。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ヴェネツィア

279
長崎にこのような被爆遺産がかつてあったことは知らなかった。表紙写真は1954年当時の旧浦上天主堂である。周知のように、長崎における原爆投下は市内中心地をはずれ、浦上地区の上空500mで炸裂した。この天主堂は爆心地から、わずか500mの距離にあったために、このような姿になった。本書には多数の貴重な写真が収録されているが、聖堂とともに「悲しみの聖母」像なども強く我々に訴えるものがある。旧聖堂は紆余曲折の末に、新しい聖堂を再建するために教会自身の決定で解体されることになった。広島の原爆ドームを上回る訴求力を⇒2015/11/12

しゅてふぁん

38
今日は終戦記念日。皆さまが戦争関連本を読んでいるのに倣って手にした一冊。一年に一度、戦争について考える機会を作ることは大切なことなんだろうな。爆心地から500メートルにあった旧浦上天主堂の被爆後の姿を記録した写真集。崩落した鐘楼、熱線に焼かれ爆風に吹き飛ばされた数々の聖者像…とても痛々しい。今は解体されて残っていないだけに、貴重な写真集だ。2018/08/15

かおりんご

35
写真集。浦上の歴史には、色々と考えさせられる。昨年、浦上のミサに参列させてもらったときに、地域に根付いたカトリック信仰の深さというか強さというものをすごく感じた。四番崩れから帰還して、やっとの思いで作り上げた聖堂が壊されたときは、なんとも言いがたい気持ちだったんだろうな。長崎に原爆が落とされたことは風化させてはいけない歴史だし、広島の原爆ドームのように形には残らなくても、伝えていかなければならないと思う。(原爆の負の遺産が全く残っていないわけではなく、本当にひっそりとあるのが残念。)2017/01/31

出世八五郎

18
長崎浦上への原爆投下を“浦上五番崩れ”と現地人は呼ぶ。旧浦上天主堂は隠れキリシタンに対し踏み絵を強制した庄屋跡地に建立された。1914年完成し献堂式~1925年双塔の鐘楼完成。隠れキリシタンの発覚と捕縛を“崩れ”と呼んだ。浦上キリシタンは1790年、1842年、1856年の3度の崩れを経験し、明治維新直前1867年7月に最後最大のキリシタン弾圧“浦上四番崩れ”が始まった。新政府は禁教令を引き継ぎ1870年、浦上男女老幼3394名を流罪に処した。岩倉使節団が欧米でこの事を批判されるに及び1873年禁教令廃止2017/01/07

おはなし会 芽ぶっく 

8
6年生ブックトーク授業【戦争・平和・伝記】広島(1945年8月5日AM8:15)・長崎(1945年8月9日AM11:02)の原爆被害に絞って話しました。こちらの本は『悲しい顔のマリア』 https://bookmeter.com/books/319468 の実際のマリア像が載っているので紹介しました。2022/07/13

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