出版社内容情報
避けがたい閉塞感や生きにくさにとらわれながら、現代に生きる「私」は、他者・死者とどのように関わることが可能か。リストカット、殺人、そしてヤスクニといった問題に考察を加えながら、「私」とは何かを探る思索の試み。
内容説明
宗教=哲学の営みは、歴史の中の死者たちの声を聞くことに始まる。先立って死者たちがあり、その死者たちの声を凝縮してゆくところに私がある。死者と私をめぐる具体的な問題の場―リストカットや自殺・殺人、そしてヤスクニ―に降り立ち、既成の学問言説を大胆に逸脱して死者から考え抜こうとする、宗教と哲学のための実践的レッスン。
目次
1 他者/死者/私(私が私でなくなるとき―上田閑照著『私とは何か』に寄せて;「人間」の言葉、死者の言葉―他者への跳躍;「死者」の発見―田辺元の「死の哲学」と現代;根源へ―宗教の言葉と哲学;宗教=哲学の可能性―今村仁司『清沢満之と哲学』の投げかける問題)
2 時代という現場へ(末法と来世のネガ―二〇世紀の遺産;剥き出しの死―自殺考;殺すこと、殺される者―暴力/倫理/宗教;ヤスクニ―戦争の死者たちへ)
著者等紹介
末木文美士[スエキフミヒコ]
1949年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。仏教学を基盤に、現代の宗教・哲学の問題に挑む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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寛生
52
【図書館】第一章「私が私でなくなるとき」から筆者の仏教的な匂いが漂う。それがふと、僕をフコーの「主体性」についての想いへ誘う。又本全体から、仏教的な《私》を感じるが、学者としてはかなりホットだと思う。オウム事件についての言及もある。が、初回の読書での個人的な印象としては、少し《大げさ》でもあると思ったが、再読し再考したい。学者として、臆することなく、死者との対話を語ることは稀だろう。死者の語りかけに耳を傾けることを奨励する学者。彼は死者論と存在論が相容れないものであることを理解している。それがとてもいい。2014/06/29




