内容説明
明治43年の盛夏、漱石は保養先の修善寺で胃潰瘍の悪化から血を吐いて人事不省に陥った。辛くも生還しえた悦びをかみしめつつこの大患前後の体験と思索を記録したのが表題作である。他に二葉亭や子規との交友記など七篇。
目次
思い出す事など
長谷川君と余
子規の画
ケーベル先生
ケーベル先生の告別
戦争から来た行違い
変な音
三山居士
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
17
宿の二階に寐転びながら、少しずつでも前の続きを読む事が出来た。病勢に伴(つ)れて読書は全く廃(よ)さなければならなくなった(12頁)。渋川柳次郎が『酔古堂剣掃』、『列仙伝』を送ってくれたという(22、156頁)。生死とは、日常一束に使用される言葉(54頁)。社会は不正で人情のある敵である(67頁)。四十を越した男に忙しい世が、手間と親切を掛てくれようとは夢にも待設けなかった余は、心に生き還った(以上1911年、68頁)。戦争が正直な二人を嘘吐にしたのだ(1914年、138頁)。2014/11/29
hirayama46
2
病により一時は仮死状態にまで至ってしまった際の心中などを書き綴った表題作を主に、細々とした随筆をセットにした一冊。やはり印象に残るのは表題作で、生死にまつわる漱石の洞察は深いものでした。2018/12/15
timeturner
2
死に直面しての思索がこれほど見事に書かれたものは少ない。2011/05/21
うどん
1
病に伏せっていている状況で、必要以上に世を妬み嫉みを向ける訳でもなく、寧ろ周囲の人々(や、医療人が病人の看病をするシステムとか)への感謝を抱く。性根が清廉というか、育ちが良い人なんだろうな…と所々で感じた。2014/07/20