出版社内容情報
はたして母語は《私》のものなのか-フランス植民地下のアルジェリア,矛盾と葛藤に充ちたデリダ自身の自己形成の物語を通して,言語-文化的アイデンティティと政治,翻訳,植民地主義の問題をめぐる脱構築的考察が展開される.
内容説明
「私は一つの言語しか持っていない、ところがそれは私の言語ではない」―この二律背反する、特異な命題が指し示す言語経験は、我々にとって何を意味するのか。フランス植民地下のアルジェリア―矛盾と葛藤に充ちたデリダ自身の自己形成の物語を通して、ポストコロニアルの時代における、言語・文化的アイデンティティと政治、母語、翻訳をめぐる脱構築的考察が展開する。
著者等紹介
守中高明[モリナカタカアキ]
1960年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得。フランス文学・思想専攻。早稲田大学法学部助教授。詩人
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感想・レビュー
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Bartleby
12
フランス領アルジェリアのユダヤ人家庭に生まれた哲学者ジャック・デリダ。現地で使われていたアラビア語やベルベル語は排除の対象。またユダヤ文化はなかばキリスト教化されていた。そして「本国」の言語であるフランス語で教育を受けた。みずから選んだわけでもないのに(もっとも、生まれてくる親は選べないのだが)、長らく行ったこともなかった支配国の言語でものを考えざるをえないという複雑な状況を生きた。言語本来の他者性をこれでもかと暴露する。本書は、母語を家に喩えたハイデガーに対する痛烈な批判にもなっている。2022/10/18
nranjen
4
1992年のアメリカのコロックの口頭バージョンをもとに1996年にテキスト化されたものらしい。原題はLe monolinguisme de l'autre où la prothèse d'origine.題名に含まれる対比が意味深。ざっくり言えばフランスの植民地で与えられたフランス市民権をヴィシー政権下で暴力的な形でそれをはぎとられ、また与えられたというアルジェリアのユダヤ人(そう言ってしまってよいのか)の複雑な経緯による言語のトラウマが問題。自らをエクリチュールゼロマイナス一度言い表す。すごい。2019/02/13
瀬希瑞 世季子
1
デリダの回想が混じりながら進行していく言語論。その形式はデカルトの方法叙説なんなを思い出したりした。自分はフェミニズムとジェンダーが哲学の入口だったから、デリダのいう「言語」をどうしても「性」と置き換えて読んでみたくなってしまう。解説の守中高明の、これを受け取るわれわれはいったい誰である必要があるのかという問いかけが響いた。2022/07/08
ぎんしょう
1
ちょうどドゥルーズ+ガタリ『カフカ』を再読しながらだったので、そこで論じられるマイナー言語の問題は接続され得るのではないかという発想を得たが、訳者あとがきによると、その点を論じたのが訳者・守中高明による『脱構築』ってことになるのでしょうかね。面白そうです。2011/10/15