出版社内容情報
1980年代に入って高度資本主義=高度消費社会化が加速することで社会の近代化が減速し、個人の自律を認めない「世間」が肥大化した。対人恐怖や女児殺害事件など具体的な問題群に即し、このシステムがいかに私たちの日常に暴力的に機能しているかを検証する。
はじめに――いまなぜ「世間」なのか
第1章 方法としての「世間」――世界とは自分のことなのだ
1 なぜ現象学なのか
2 「世界とは自分のことなのだ」という方法
3 「自分」の理解としての「世間」論
4 〈生活世界〉を探究するということ
5 対象=方法としての「世間」
第2章 構造としての「世間」1――贈与・互酬、身分、個人の不在
1 贈与・互酬の関係がつらぬかれる
2 身分の重要性
3 個人は存在しない
4 自己決定の不在
第3章 構造としての「世間」2――呪術性、排他性、権力性
1 呪術性がつらぬかれる
2 儀式の空虚さ
3 排他性と差別
4 網の目としての権力
第4章 歴史としての「世間」――「中世」化する資本主義
1 社会はわが国には存在しない
2 社会と「世間」とのちがい
3 一九八〇年代における「世間」の露出
4 一九九〇年代における「世間」の膨化・肥大化
5 あらたな身分制度の登場
第5章 風土としての「世間」 ――ヨーロッパの静かな静かな風景
1 和辻の風土論と「世間」
2 エジンバラの都市
内容説明
個人であることを認めない、「贈与・互酬」「身分」「共通の時間意識」のシステムに支えられた「世間」は、西欧の「社会」とは決定的に異なり、私たちの日常的な“生活世界”にあって行動を規制する原理として機能する。日本では明治期から進められた近代化によって西欧型「社会」にとってかわられるはずだったこの「世間」というシステムは、しかし1980年以降の高度資本主義=高度消費社会に入って、近代社会の家族/社会という二項対立が解体され資本主義の中世化が進むにつれて、いっそう膨化・肥大化していくことになる。近代化の圧力の低下にともなって強大化する「世間」というシステムが、いかに私たちの生活に暴力的に機能しているかを、対人恐怖、隣人訴訟、女児殺人事件などの具体的な問題群に即して検証する。
目次
第1章 方法としての「世間」―世界とは自分のことなのだ
第2章 構造としての「世間」1―贈与・互酬、身分、個人の不在
第3章 構造としての「世間」2―呪術性、排他性、権力性
第4章 歴史としての「世間」―「中世」化する資本主義
第5章 風土としての「世間」―ヨーロッパの静かな風景
第6章 心的現象としての「世間」―対人恐怖をめぐって
第7章 法的現象としての「世間」―隣人訴訟をめぐって
第8章 犯罪現象としての「世間」―文京区女児殺害事件をめぐって
著者等紹介
佐藤直樹[サトウナオキ]
1951年、仙台市生まれ。九州大学大学院修了。九州工業大学情報工学部教員。専攻は刑事法学
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