内容説明
1945年8月10日。西部軍報道部山端庸介は、焦土のナガサキを記録した。焼けただれた黒こげの死体、破壊された街、瀕死の市民の姿―それから50年、アメリカと長崎で、彼の写真展が同時開催された。よみがえる115枚のネガと、被爆者の証言をもとに、あの日の長崎の惨状を明らかにする。
目次
序章 アメリカでよみがえる長崎
第1章 長崎を記録した男
第2章 長崎・ジャーニー(1)ラッキーガール、おにぎりを持った親子
第3章 長崎・ジャーニー(2)爆心地・傷つき焼かれた人々
第4章 長崎・ジャーニー(3)救援・逃げ延びた人々
終章 長崎の映像は語る
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
へくとぱすかる
26
長崎原爆の日に向けて再読。1995年、被爆翌日に撮影された写真の大幅なデジタル修復が行われた際、そこに写っていた人々のその後を追ったドキュメント。がれきの中に「転がっている」としか言いようのない黒焦げの遺体など、目をそむけたくなる惨状が、写真には生々しく記録されていた。生き残った人々によって、被写体となった人が特定されていく過程は、過去を再現することでもあり、中には当時のことを思い出したくない人もいた。しかしその後20年。同じ証言はもう聞けそうにないことを思うと、まだ終わっていないのに、と残念に思う。2014/08/09
鈴木双葉(全日本目が死んでる団団長)
4
なんとなく借りた「原爆と俳句」、それで原爆関係の写真集を見てみようかと思って手を出したが、意外と文章中心だった。/「ラッキーガール」の全くラッキーでない末路。/捕虜収容所から避難した?外国人捕虜たちが被爆者の手当てをしてくれた話は、割とびっくりした。2025/03/28
しんこい
4
広島も長崎も原爆が投下された当日の写真がほとんどないとは知りませんでした。爆発で家屋が全くなく焼死体が時々転がる町の写真は衝撃的ですが、実際の悲惨さはこんなものではなかったという体験者の話も、確かに地震の時も本当に悲惨な現場写真は見ていないなと思いました。2013/05/20
SK
2
246*山端氏の撮影した原爆写真を、時系列に沿って、体系的に理解できた。ラッキー・ガールはヤラセ写真だったとのこと。ついつい、写真は真実と思いがちだが、そこには何らかの意図が込められている場合もしばしばある。リテラシーの重要性を感じさせられた。2017/08/18
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