内容説明
「聖徳太子」といえば、多くの日本人はかつて高額紙幣に描かれた肖像を思い浮べるだろう。しかし太子像はこれだけではない。日本の古代を語るうえで不可欠の重要人物であり、しかも死後間もなく太子信仰が誕生、その生涯は神秘のベールに隠れ、実像を不鮮明にして、さらに異なる太子像を生む結果となった。時代の流れの中で変容してきた太子のイメージを多面的に検証、そこに込められた造像者の意図とエネルギーの源泉を探る。
目次
序 紙幣の肖像 聖徳太子
1 法隆寺献納宝物と太子像
2 不思議な唐人の筆跡
3 親通は救世観音を見たか
4 平安時代末期の太子像
5 異形の聖徳太子
6 「ある聖人」慶政上人の説
7 顕真と「唐本御影」
8 「唐本御影」の認知
9 長屋王木簡の絵と「唐本御影」
10 肖像画の歴史と「唐本御影」
結 現代の聖徳太子像
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
星乃
4
若い人は知らないであろう(私はギリギリうっすら記憶にある)一万円札の聖徳太子「唐本御影」。あの画は果たして本当に聖徳太子なのか否か。真実は不明だが、そう固く信じられてきた背景に意義がある。天皇の子とは言え、出家したわけではなくあくまで俗人だった太子が次第に神格化されていく過程が面白い。「鳥毛立女屏風」との比較から「唐本御影」も奈良時代半ばの画と考えられ、描かれてる男性は太子なのかも知れない。少なくともその可能性は排除できないと著者は語る。2023/10/18
印度 洋一郎
4
日本史の有名人である聖徳太子の肖像「唐本御影(昔のお札の絵のモデル)」にまつわる歴史を検証し、この人物のイメージが歴史の中でどう変遷してきたかを考察する。確認出来る最古の記録は、太子没後500~600年経った平安末期~鎌倉の頃。当時の人から見ると、この絵の聖徳太子は「この人・・・外人?」だったらしい。そこを当時影響力が低下傾向の法隆寺の関係者が太子信仰のを利用して、自分達の寺勢を盛り返そうと画策。しかし、江戸時代には聖徳太子といえば、「童子像」が一般的だったとか、そのイメージは時代によって、揺れ動いている2018/12/15