内容説明
謙信の流れをくみ、鷹山を中興の祖と仰ぐ名門、米沢藩上杉家。最後の藩主・茂憲は明治十四年、琉球処分から日が浅い沖縄に県令として赴く。本島をくまなく巡り、宮古・石垣両島まで及んだ視察で目撃したのは、困窮にあえぐ庶民の姿であった。再三の改革意見は政府から黙殺され、志半ばで解任される茂憲。だが、情熱を傾けた人材育成は後年になって実を結ぶ。今日もなお沖縄で敬愛される上杉茂憲の二年にわたる奮闘の記録。
感想・レビュー
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佐島楓
49
明治時代、沖縄最初の県令として勤めた上杉茂憲の功績を書いたもの。明治政府の横暴さや沖縄に対する無理解さが悲しい。貧困にあえぐ沖縄の民衆を救おうとした茂憲。正直申し上げてもっと長い間実務に携わっていただきたかったが、政府の命令では仕方なかったのだろう。中央政府と沖縄の関係性の歴史を知るのには良い本だと思う。2015/11/25
壱萬弐仟縁
27
沖縄では大正期になっても、小学校の共通語教育で、沖縄言葉をしゃべった児童の首に方言札を掛けさせ、罰をあたえた。東北地方でも類似(5頁)。文化としての言葉をこうして壊すのは、時代に拘わらず、どうなのか? 明治14年には、那覇と田舎を結ぶ荷馬車や人力車が通れる道路は開通していない。はじめて車道が開通するのは西村捨三県令の時代の明治18年で、那覇・首里間1里8丁(約5キロ)、首里・与那原(よなばる)間の2里14丁(約9キロ)。その他は明治後期から大正時代まで待った(42頁)。2015/09/08
Lila Eule
6
米沢藩最後の藩主上杉茂憲の沖縄県令の事績を通して、明治の中央政府の支配と沖縄の被支配の歴史がよくわかる。17世紀から薩摩藩に支配されるも日清両属の思想が根付き、明治政府は皇民化教育で改造しようとしたそうだ。怨念が底にあると著者は言う。皇民化教育は沖縄戦の惨劇に繋がり、アメリカ支配、日本復帰も心の底にあるものを更に硬くしたのだろう。美しい穏やかな人々の歴史が昔からこれほど厳しいとは・・・2016/02/04
めぐみこ
3
北国の元・米沢藩主ご一行が、南国沖縄に赴任して四苦八苦した記録。茂憲は県令として、沖縄の人民のことを考え改革しようとするも、政府方針と相容れず、志半ばで解任される。形の上では栄転でも、さぞや悔しかったろう。それでも、平成六年に沖縄県民有志から顕彰状が贈られたというのだから、凄い。100年以上経っても忘れられていなかったのだ。2019/04/29
HMax
3
沖縄の歴史の一片を理解できたような気がします。 また、いつの世も抵抗勢力、守旧派との戦い無くして改革はなし得ないのですね。 2015/08/13