内容説明
江戸時代、全国各地で作られた多種多様な石造物には、いかなるメッセージが込められていたのか。飢饉・事故・疫病の犠牲者や、遊女・刑死者の供養塔・災害碑などに光を当て解読する。さらに、日本海沿岸の湊町や住吉大社などへの奉納石から、海運史や地域間交流、石工の姿を描く。「歴史の証人」である石造物から、近世の自然や社会環境の実態に迫る。
目次
「紙に書かれなかった歴史」を読み解く―プロローグ/身近な石造物(石は頑丈な「記録媒体」/多様な江戸時代の石造物)/石に刻まれた飢饉の記憶(飢饉供養塔とは/元禄・宝暦・天明・天保の飢饉と東日本/享保の飢饉と西日本)/石に刻まれた地震・津波・噴火・水害の記憶(南海トラフ巨大地震と津波災害碑/松前大島噴火と寛保の津波災害碑/寛保の大洪水と災害碑/天明の浅間山噴火と災害碑/安政江戸大地震・安政江戸大風災と災害碑)/石に刻まれた事故と疫病の記憶(大火を伝える供養塔/海難事故の犠牲者の供養塔/橋脚落下事故の犠牲者の供養塔/疫病と石造物)/遊女と刑死者の供養塔(遊女供養塔/刑死者の供養塔)/北前船と石造物(日本海津々浦々の石造物/下北半島の海運関連石造物/住吉大社と金比羅宮の石灯籠)/石のモニュメントが ぐ過去と現在―エピローグ
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
37
飢饉・地震・洪水・噴火・疫病など日本史は災害の歴史といえる。年表に1行で記されるだけの被災者や遺族が悲惨な体験を後世に伝えるべく、全国で供養塔や災害碑などを数多く残してきた事実を初めて知った。特定の個人が対象の古文書と違い、不特定多数に読まれる前提で建立されただけに災害の記憶を伝承しようとする地域の意思が伝わる。これに火災や遊女、刑死者や海難者供養の石造物を加えると、表の歴史では語られない庶民の苦難を伝える証言録として見直されるべきだろう。将来、コロナで亡くなった人の供養塔が回向院に建てられるのだろうか。2020/08/09
HMax
24
石造、江戸時代に急激に数が増えている。大きな石を全国に輸送できるようになったことが大きいようです。面白いのは迷子しるべ石、二つの大きな石柱がペアになり、片方に尋ね人、反対に見つけた人の紙を貼れるようになっている。昔、駅にあった伝言板のようにも使われていたそうです。それにしても、飢饉や災害で村が消滅したり半減した詳細な記録を石碑に刻んで残したという当時の人の気持ち、忘れないようにしたい。備考:「首切り地蔵」ネットの今の写真では大したことないけど、絵でみると怖い。2020/10/10
びっぐすとん
19
図書館本。石碑ってお寺とか結構どこにでもあるけれど内容に興味を持ったことがなかった。東日本大震災の時に津波の記録を伝えるものがあることを知ったくらい。紙や木に比べ耐久性があり、長く歴史を伝えられる石碑を選んで残されたメッセージをきちんと受け取らないといけない。災害、疫病、飢饉など当時の人々の悲しみ、無念を忘れない。畑の中に「○○出征記念」とか「戦没慰霊」というのも見かける。公のものだけでなく、大事な家族を忘れてほしくない為に個人的に建てられたのか?人間がいなくなっても石碑は朽ちない。刻まれた思いは残る。2020/10/17
takao
1
ふむ2021/06/03