講談社選書メチエ<br> 贈与の系譜学

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講談社選書メチエ
贈与の系譜学

  • 著者名:湯浅博雄【著】
  • 価格 ¥1,760(本体¥1,600)
  • 講談社(2020/06発売)
  • ポイント 16pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784065194393

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内容説明

何かを贈ること、プレゼントすることは、日常誰もが行っている。本書は、この「贈与」という行為に注目し、それがどこから生まれ、どのような機能をもってきたのかを探り、いかに人間の本質と結びついているのかを明らかにする。
贈与の起源を遡れば、それは〈宗教的なもの〉の発生と不可分だと考えられる。みずから働いて産み出した富――遊牧民や牧畜民なら羊など、定住農耕民なら小麦や葡萄などを「犠牲(サクリファイス)」として神々や精霊に捧げること。そこには祝祭の空間が生まれ、やがてそれは共同体を支える制度となった。これは現在も「祭り」として目にすることができる。
一方で、贈与は他の人に何かをプレゼントすることとしても現れる。歴史を振り返ると、その源には窮境にある人に自分の富や財産を贈る行為がある。これは今も「寄付」などの行為に見られるものであり、美徳とみなされることが多い。
このように、太古の昔から現代に至るまで、人間は贈与という行為に価値を見出してきた。では、なぜ贈与には価値があるのかといえば、自分にとって大事なものを手放して与える行為だからである。ところが、誰にとっても最も大事なものとは何かといえば、自分に固有のもの、自分の唯一のものだが、それは手放してしまえば自分が自分でなくなるものであり、つまりは原理的に贈与できないものだと言わざるをえない。これを逆から見れば、贈与できるものとは「交換可能なもの」であることになる。それゆえ、いかなる贈与も時間が経つうちに「見返り」を暗に要請するものとなり、「交換」になってしまう。
だとすれば、純粋な贈与とは不可能なのか。不可能だとすれば、そもそも贈与という行為の価値そのものが揺らいでしまうのではないか――。
本書は、数々の定評ある著作をものしてきた著者が長年にわたって取り組んできたテーマを正面から取り上げた、「集大成」と呼ぶべき渾身の論考である。今失われつつある「思考すること」の真の姿が、ここにある。

[本書の内容]
第I章 古代思想における〈正しさ〉
第II章 初期キリスト教における〈正しさ〉
1 神との内的関係を重く見ること
2 カントの実践哲学
3 キリスト教に対するニーチェの評価と批判
第III章 原初の社会における贈与的ふるまい
1 〈贈与というかたちを取る〉物の交流・交易
2 贈与的なふるまいの両義性
3 贈与的次元を含む運動、それを打ち消す動き(再-自己所有)
第IV章 贈与をめぐる思索
1 贈与的ふるまい
2 贈与、サクリファイスと模擬性=反復性
3 苦難の時そのものが新たに、未知なるものとして生き変わること
4 不可能なものという試練

目次

はしがき
プロローグ
第I章 古代思想における〈正しさ〉
第II章 初期キリスト教における〈正しさ〉
1 神との内的関係を重く見ること
2 カントの実践哲学
3 キリスト教に対するニーチェの評価と批判
第III章 原初の社会における贈与的ふるまい
1 〈贈与というかたちを取る〉物の交流・交易
2 贈与的なふるまいの両義性
3 贈与的次元を含む運動、それを打ち消す動き(再-自己所有)
第IV章 贈与をめぐる思索
1 贈与的ふるまい
2 贈与、サクリファイスと模擬性=反復性
3 苦難の時そのものが新たに、未知なるものとして生き変わること
4 不可能なものという試練
エピローグ

文献一覧
あとがき

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

12
エコノミーの回路から逃れ、見返りから解放された、「交換」ではない純粋な「贈与」は可能なのか。それ自体のうちに目的を持つ「贈与」について思考するために議論の俎上に乗せられるのは、キリスト教における「恩寵」であったり、ニーチェやアリストテレスらの思想だったりするが、根底にはバタイユの思想が濃厚に感じられた。永遠に到達できない「死」に近付く、極限体験としての「贈与」。それは決してクロノス的な時間の中で経験しきることができないという意味で、宙吊りの状態で問い直し続けられる。そしてそれゆえに価値あるものだとされる。2021/11/17

Mc6ρ助

9
自助、共助、公助、そして絆、なんて言われる以前から、共助に感じる幾ばくかの違和感。神戸の震災以来ボランティアの活躍は喜ばしいが、「ボランティアだから労災保険外」?爺さまの理解力を超える本書を読んでも、無宗教と言われる国での共助のドライビング・フォースに答えは得られない。『たとえば、他者の求め・・に応答して贈り物をすること。宗教・・がそうすべきだと説くように、自分の富(の貴重な部分)を犠牲にして、他なる人に贈り、譲ること。それは徳ある善き行いであり、人間としての責任・義務でもあるとされている。(p205)』2020/09/22

ひよピパパ

8
「贈与」に関わる論考。後半はかなり難解。「贈与」というと単に「贈り物」のことだけをイメージしがちが、本書はその奥の深さを教えてくれる。特に「贈与」が宗教的な「供犠」と関わる側面があることについて多くの示唆を得た。2023/12/18

aoi

4
面白過ぎた。 人はされた事受けた恩を意識的にも無意識的にも返そうとする、物理的精神的なものも含めて均等を取ろうとする…ってのはめっちゃ有るなぁ😣私は相手の望みを聞くと無意識に行動や思考を縛られる。またそれを相手に行うのを恐れて軽口でも思いを言えなくなる。そのループにハマりそうな相手とは関係を築けない。返せない贈与を貰うのは負担だ、罪悪感が生まれて負担になる。 純粋に贈与を贈るのも貰うのも本当に難しい。 唯一の純粋な贈与は自分に固有な特有で独特のなにかを手放し相手を迎え入れること…それなら出来るかもなぁ。2020/10/10

yu-onore

3
ちょうどイエスの死が、それ以降負債を人民へと背負わせルサンチマンを感じさせるようなものとなったとはいえ、一時的には経済を脱臼させて打ち止めにするようなものだったように、最終的には絶対贈与などできないのではないか、という矛盾を抱えながらも、それでもその宙釣りを経て贈与を行うという行為の、経済を一旦打ち止めにするような遊戯的なものとしての贈与の価値を見る。祝祭の中で法を破る暴力を通して、人は未踏の領域へと開かれるというバタイユは遊戯の性質としてもすごく面白い。2021/07/02

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