講談社選書メチエ<br> 名前の哲学

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講談社選書メチエ
名前の哲学

  • 著者名:村岡晋一【著】
  • 価格 ¥1,705(本体¥1,550)
  • 講談社(2020/01発売)
  • ポイント 15pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784065183601

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内容説明

「名前」ほど、日常にありふれたものでありながら不思議なものもない。自らをあらわす自分の名前さえ、ほとんどの場合、自分ではない他の誰かに付けられたものであり、死後まで自分の存在は、その誰かに付けられた名前によって語られることになる。なにより自分の名前は、自分で使うよりも他者から呼ばれることのほうが圧倒的に多い。最も身近で最も遠い、それが「名前」である。
 「名前」をめぐる哲学は、西洋の形而上学では真理についての文脈で考えられてきた。初めて「名前」を哲学の対象にしたプラトン、アリストテレスにはじまり、その流れを受け継いだ二〇世紀のミルやフレーゲの名前論をひもとけば、伝統的な西洋哲学がいかに「名前」を厄介者としてきたのかが浮かび上がる。
 ところが、ヴィトゲンシュタイン、ローゼンツヴァイク、ベンヤミンの三人の思想を解き明かしていくと、真理論の舞台から解き放たれて、名前の哲学はこれまでにない生き生きとした姿を見せはじめる。著名なジャック・デリダの三部作にかぎらず、先鋭的な名前論はなぜユダヤ系の思想家から生まれるのか――。その背景には、名前と同化をめぐるユダヤ系の人々の苦難の歴史があった。
 外側から貼られた単なるレッテルではない、「呼びかける」ものとしての名前がひらく、新たな時代の共同体論。

[本書の内容]

まえがき 名前――もっともありふれた不思議なもの
第1章 名前の哲学史――古代ギリシアから二〇世紀まで
第2章 生活形式――ヴィトゲンシュタイン
第3章 対話――ローゼンツヴァイク
第4章 純粋言語――ベンヤミン
終章 名前の哲学が教えること

書 誌
あとがき

目次

まえがき 名前――もっともありふれた不思議なもの
第1章 名前の哲学史――古代ギリシアから二〇世紀まで
第2章 生活形式――ヴィトゲンシュタイン
第3章 対話――ローゼンツヴァイク
第4章 純粋言語――ベンヤミン
終 章 「名前の哲学」が教えること

書 誌
あとがき

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

32
普遍的なものを目指す哲学には雑音でしかない名前が、むしろ哲学において必要不可欠なものだという逆転を論じています。しかし、ウィトゲンシュタインの箇所を読み、確定記述と固有名の議論だと勘違いすると凄く裏切られます。その後のローゼンツヴァイクとベンヤミンの議論は、一体ウィトゲンシュタインの議論は必要だったのかと疑問も沸きます。ローゼンツヴァイクの章はゼロ記号の神の名前に他者性をみるという、結構ありきたりな議論をペテンの様な論述で迫ってきます。これはこれで面白いのですが、人間の名前と神の名前を逆転させるベンヤミン2021/03/08

ぷほは

3
夫婦同姓制の話を読み、そういえば自分の研究テーマと近いなと読んでみた。なんか知らんが、固有名をめぐる議論は柄谷やらクリプキやらの議論があんまり面白そうに見えなかったため敬遠していた節があったのだが、著者はユダヤ系思想家の研究者であり、ローゼンツヴァイクからベンヤミンへ繋がる話がとても興味深かった。中動態の議論とも関係する他者への呼びかけとしての名。社会学者としてはまず真っ先にジンメルなのだが、同時にバウマンの「顔」も浮かんだ。それからWWⅠ後の言葉を失った兵士たちの姿が、コロナ以後の私たちとダブって見え。2021/12/20

ヤマニシ

0
・「まず、どんなものも名前なしには存在できず、名前はものにとって本質的なものであり、「内部的」なものだが、同時に名前はものにたいして「外部」からやってくる。」(p196) ・「「名前の哲学」が教える第二のことは、われわれが名前によって住みつく世界は、「他者とともにある」世界だということである。名前はもとより「呼びかける」ためのものであり、それが開く世界は他者の存在をすでに前提としている。」(p198)2021/08/11

なんか妖怪

0
名前の本質は特定の対象を指示したり特定する働きにあるのではない、呼格(誰かから呼ばれる)こそがその本来性である。 他者から呼ばれる性質をその名前に含んでいる『ふぶきちゃん』や『ミッキーマウス(ミニーマウス)』は、多くの人に愛される存在の名前として、完璧過ぎたのだ。2021/08/10

左手爆弾

0
もし死後の生というものがありうるとしたら、それは「名前」によってはじめて可能になる。本書は名前、とりわけ「固有名」をめぐる哲学史的考察から、筆者の専門である近代以降のユダヤ思想へと展開していく。序盤はプラトンの『クラテュロス』やアリストテレス、さらにはミル、ラッセル、フレーゲなど、ギリシア哲学的な伝統における名前の扱いを問題にする。ここにおいて、ヨーロッパの主流の思想史においては固有名よりも一般名詞の扱いの方が重要であるという傾向が確認される。そうした傾向はウィトゲンシュタインにおいても見られる。2020/09/12

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