内容説明
本書は「学びの塔」である東大の総長を務め、かつ政治思想史の碩学で政治という「歴史の中で人間を動かす学問」を研究と現実とで行ってきた著者が、長年の教育実践をもとに、福沢諭吉、アリストテレス、ヘーゲルやマルクスの知の軌跡に分け入りつつ示す、「勉強」を超えて到達する「学び」の境地。旧来の常識や手本を学び、それを超えて自由になることは、人生の可能性を大きく切り開く。
目次
第1章 東日本大震災と「学ぶ」ということ―「想定」の呪縛
第2章 『学問のすゝめ』から「学び」を読み解く―「学び」の歴史的定式化
第3章 変革の武器としての「学び」―「変えられないもの」を「作り変えられるもの」に
第4章 「学び」の四段階―「勉強」で到達できないもの
第5章 何を「学ぶ」のか―学ぶ人のあり方
第6章 「学ぶ」ことの可能性と限界をめぐって―真の「学び」は「可能性の束」として現実にこだわること
第7章 専門性と「学ぶ」こと―プロフェッショナルの魂を求めて
第8章 政治にみる「学び」の姿―「学ぶ」ことに終わりはあるか?
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Uzundk
11
「学ぶ」ことそのものについてはあまりに多様で深く簡単にまとめられない。近代から社会の中における学びの主体が"道徳"から"知恵"へと移り、自然を御し、運命を変える力を持つようになった事。20世紀に初めて自分の運命の多くの部分を自分で決められる様になった、問題は人間の運命は人間によってどこまで作られるべきかということで、21世紀はその問いに向かい続ける世紀になると言うこと。知恵は現実に変化をもたらし、私達はその変化を学び新しい可能性を切り開いていく流れの中にある。2016/11/23
壱萬弐仟縁
11
人間は学んだことを、のど元過ぎれば熱さ、忘れる・・・(14頁)。謙虚さを失っては、思い上がってしまい、それでは万全ではなくなる(23頁)。隙が生れるからだろう。学ぶことには、想定枠からはみ出て枠内の学びをすら、相対化することを含むという(29頁)。相対化の時代、とは国際政治学の坂本義和先生の岩波新書だったのを想起した。元東大総長の先生から言われると、本書をも相対化するのは困難な気もする。しかし、真理を疑うのが学問の前提である。本書では福澤諭吉先生も出てくるが、官民の学びの違いはどうか。民から官へ相対化を。2013/06/05
ひこまる
7
自分のようなアホにはこの文章は難し過ぎる・・・と思ったら元東大総長だったのね。次元が違うorz ただ『学び』の際は「知る」「理解する」「疑う」「超える」という四段と、自分の都合の良い方向でしか考えない「従僕の目」にはならないことを大変難しいだろうが常に念頭においてみることにします。2013/04/28
ぷるぷる
6
東日本大震災による被害から学ぶことについて新たに考えをまとめた元東大総長さんのためになる話。中身は日本における学ぶと言えばという感じで福沢諭吉の研究と解説が中心。一番印象に残った文章は【新しい工夫によって一歩一歩前に進むこと以外やりようがない。暴力と権威によって人間が新しい企てを始める能力を圧伏することができない以上、継続的に「学ぶ」ことが残された選択肢である。つまり「すべてがわかっている」という見地はあり得ない】でした。古典からの引用がたっぷりで表現も難しくてとっつきにくいが読んでて知的に高揚できます。2016/02/20
モモのすけ
5
「日本社会は今や姿を消した冷戦や『西側先進国』のイメージから独り立ちできず、依然としてマニュアルを派手に入れ替えながらその周辺をぐるぐる回っているようにしか見えない」2014/04/19