内容説明
一つの人生観に縛られていませんか? 目標や希望の実現に向けて「頑張る」ことに囚われすぎていませんか? 苦悩した青春時代、禅僧を目指した修行時代、禅僧と作家の二束の草鞋で歩む現在――。幾多の経験を通して、身の回りの出来事や、世間を騒がせた事件に触れながら、息苦しい世の中を、「楽」に「安心」して生きていくきっかけを教えてくれる。一話一話、読むほどに、心が少しずつ軽くなっていく。
目次
渋柿のそのまま甘しつるし柿(渋柿の甘さ;一隅を照らす;鰯の頭 ほか)
くらぶれば長し短しむつかしや(タマちゃんと、寂しい「安心」;瞑想の中だけの「恒久平和」;正統なき「東洋的正統」 ほか)
うゐのおくやまけふこえて(僧侶とお酒;僧侶が長生きするワケ;「あの世」までの四季 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Kent Kaseda
12
【評価:70点】禅僧で,芥川賞作家の筆者によるエッセイ集。しかし,エッセイと呼ぶよりも,やはり「説法」と呼んだほうが,しっくりくる内容だ。話題は,筆者の自伝的な話から,仏教・宗教行事に関する筆者の考察,まさに「説法」と呼ぶべき教訓,時事問題への批判など,多岐に及ぶ。個々の議論の内容も,勿論示唆に富むものではある。だが,それ以上に筆者が世界を「仏教的な目線」で現代の世の中を眺めていること。そして,本書を読めば誰でも,その「仏教的な目線」から見た世界を追体験できること,本書の最大の意味があると思う。2017/09/05
雛
10
先日亡くなった母の本棚から頂いて来た。今の私には玄侑さんの言葉が素直に沁みて来る。他の著書も読んでみよう。2015/11/01
寝落ち6段
7
仏教は本来、哲学であったと思う。人の内面について思索を深めていくことで、日常の不安や懊悩などを具体的に究明し、解消していくことができるのが仏教だと私は考えている。明王や観音などの仏は伝承として面白いが、実際は存在しない。そういう不確かなものに縋ってしまう人を救うために、確かな現実を受け入れさせ、その見方を提示し、その本質に迫っていくことが本来の仏教だろうと思う。仏教はこれからもっと縮小していくだろう。著者の玄侑さんのように、当事者の言葉で、不確かなものを提示せずに説諭することが求められているからだ。2020/04/04
B.J.
5
●仏教では、人間の心に「六道」という幅を想定している。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道。同一人物の心のあり方にそれほどの幅があるというのだ。 ●仏教では肉魚を食べない、と思っている方もいるようだが、本来そんな決まりは初期の「律」のもない。托鉢していただいた庶民の食事と同じものを頂いたのである。ただ、目の前で殺される場面をみてしまった動物は食べちゃいけないと、釈尊は仰せつかった。・・・本文より 2020/02/25
乱読家 護る会支持!
4
玄侑宗久先生のショートエッセイ集。 それぞれの章が、新しい視点をくれて、面白かった。仏教の本質は、構築と脱構築であるらしいが、一章ごとに構築と脱構築が脳内に起こるかんじ。 智のある人とは、道理や知識をたくさん知っている人と思われがちだが、僕は「道理を疑う人」「自分が知らないことを知る人」が、本当に智のある人ではないだろうか? 人が知識を得るのは、自分が何を知らないのかを知る為なのかもしれない。 知らんけど。 なんか、今日の「知らんけど」は、深い、、、気がする(笑)2021/01/20