内容説明
文学を志す青年の芸術観、社会への憤り、生活、恋愛、性が、実に丹念に、精密に書きとめられた日記が発見された。戦後、大作家として花開くまでの、苦悩と陣痛の日々の記録が、遂に公刊。学生時代、大阪市役所時代、軍隊時代の貴重な手帳、創作ノート等も加え、余すところなく活字と写真版で復元する。
目次
第1部 学生時代の日記(第三高等学校時代(一九三二年四月~三五年三月)
京都帝国大学時代(一九三五年四月~三八年三月))
第2部 資料篇(詩、創作ノート、手帳、断章)(学生時代(一九三二年四月~三八年三月)
大阪市役所時代(一九三八年四月~四一年十月)
軍隊時代(一九四一年十月~四四年十月)
国光製鎖時代、戦後へ(一九四四年十一月~四六年六月))
第3部 書簡篇(一九三六年~四七年)
著者等紹介
野間宏[ノマヒロシ]
1915年2月23日、神戸市生まれ。在家門徒たる父卯一の影響下、幼少時より親鸞の思想に触れる。北野中学時代より創作に励む。三高在学中に詩人竹内勝太郎と出会い、フランス象徴主義をはじめ20世紀ヨーロッパの前衛文学を学ぶ。富士正晴、桑原静雄と同人誌『三人』を創刊。1935年京都帝国大学文学部仏文科に入学。西田幾多郎、田辺元の哲学に傾倒する一方、マルクス主義運動に参加。1938年大学卒業後、大阪市役所に就職。社会部福利課で融和事業を担当。水平社以来の被差別部落の活動家たちと深い交流を結ぶ。1942年1月、応召してフィリピン戦線に従軍。帰国して原隊に復帰後、治安維持法違反容疑で陸軍刑務所に収監される。1944年2月、富士光子と結婚。戦後すぐ文学活動を再開し上京。46年「暗い絵」で注目を集め、「顔の中の赤い月」「崩解感覚」など、荒廃した人間の身体と感覚を象徴派的文体で描き出し、第一次戦後派と命名された。人間をトータルにとらえる全体小説の理念を提唱。52年、『真空地帯』で毎日出版文化賞を受賞。64年10月、日本共産党除名。71年には最大の長篇『青年の環』を完成し、谷崎賞受賞および、73年にはアジアのノーベル賞といわれるロータス賞を日本人としてはじめて受賞した。75年2月より、雑誌『世界』に「狭山裁判」の連載を開始する(~91年4月。没後、『完本狭山裁判』として藤原書店より1997年刊行)。晩年は、差別問題、環境問題に深くかかわり、新たな自然観・人間観の構築をめざした。89年朝日賞受賞。1991年1月2日死去
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