内容説明
無名の庶民が体験した怪異現象を丹念に記録に留めた大正15年刊の本書が今なお価値をもつのは、あたうかぎり実体験者、実見者、あるいはその身近な人物から話を聞き取ろうとした点にある。怪異が起こった時、場所、談話者も含めた人名に関する真実性、具体性に強いこだわりを持ち、怪異のフィールドワーカーとして柳田國男と親交を結んだ岡田建文の代表作に、東西エソテリズム研究の第一人者・横山茂雄による詳細な解説「霊怪の探究―岡田建文の場合」を付した決定版。
目次
第1篇 總論(山童の怪異;火災の豫言;無人の室に自動する占板;縮地の法なるもの乎;十五分間に自轉車で五十哩 ほか)
第2編(古墳の暴崇;蟇と靈蛇の守護;生靈と死靈との闘争;〓年武士を嬲た怪僧;火を吹く鬼面の怪物 ほか)
著者等紹介
岡田建文[オカダケンブン]
187?~1945。明治初頭、松江藩の鷹匠の家に生を享ける。『大阪新報』記者を経て島根の地方紙『松陽新報』の編集長を勤めた後、大正元年、松江において雑誌『彗星』を創刊。大正3年末頃より心霊主義者としての旗幟を鮮明にし、大正6年末頃より大本の出口王仁三郎、浅野和三郎らと親交を結ぶなかで、『彗星』は半ば大本の宣伝誌と化し、島根方面への大本の教線拡大に寄与。大正10年の第一次大本事件を経て、大本系の『人類愛善新聞』に職を得るも不遇をかこち、本道宣布会の九鬼盛隆らと交流、大正15年に友清歓真主宰の天行居から『霊怪談淵』を上梓し、その後も霊怪体験の実話を蒐集した著書を立て続けに刊行する。実体験者、実見者等への聞き取り調査を踏まえたその怪異談に対する一貫した手堅いアプローチは、民俗学者・柳田國男から高く評価され、昭和24年、柳田は「東京日々新聞」に一文を寄せ、東京大空襲で行方不明となった岡田に対する墓碑銘とした(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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