内容説明
すべての「蒙」きを「啓」こうとする近代知の妄執から逃れ、関係の網目へと解体された世界の四肢をもう一度呼び戻す終末のオルガノン〔詩的方法〕。
目次
序章 「構造」はテーブルする
第1章 橋と扉をめぐる架橋的エッセー
第2章 内の彼方
第3章 数に舞わせる
第4章 意味と渦動
第5章 構造の気象学
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
tonpie
9
著者の方法論(気分)のベースは、澁澤龍彦&種村季弘でしょうが、射程は明らかに広い。こんな一節。「収集趣味を膨大な言語の収集という形で昇華したのがリアリズムだ。バルザックやフロベールの小説をこうした形で眺めた人はまだいないが、リアリズムこそはブルジョワジーの抱いたユートピア幻想の最高の表現である」(p116)。スピノザとフェルメールとレンズをモチーフに「(視覚と言語について、)これほど高い自意識に達した文化圏はたしかに17世紀オランダをおいてないように思われる」(p131)。痺れる。読む度に背筋が伸びる本。2020/05/15
袖崎いたる
3
澁澤龍彦と種村季弘、あるいは荒俣宏もそこに含まれるけど、博物学的な関心に憑かれている人のテクストはどーにも読みにくさがある。これは読み手である私の問題だけど。高山宏もそう。収録されている「目の思想」に目を通していて思ったのは、書いている文につねに複眼的な目利き・目配せが錯綜するのも躊躇わない形で忍ばせているからなのではないかしら、なんてことを思ったよ。とはいえ、高山宏本から日本語を学ぶのは楽しいのだ。澄空の目なんて言葉は知らなかったですし。言い回しも含めてお勉強になる。2021/04/12
あかふく
3
1980年代後半から1990年代前半あたりの高山宏のエッセイを信用できる編集者に任せて目次を作ってもらったもの(もちろんいつも通り改稿はされている)。流れとしては『メデューサの知』から「歩く、見る、書く」につながっていくようなところで、<近代>論を構造・反構造というところから切っていく。もちろん挙げられるのはテーブルや塔。具体的にはデフォーやスウィフトの架空旅行記、シューエルのノンセンス論(表題作はこれ)、メルヴィル『白鯨』から最後には構造自体を問題としていく。2013/07/09
hachiro86
0
絢爛の高山節を堪能する本2009/10/24