内容説明
超広域(一府一〇県)、まれに見る大公園!!“瀬戸内海”はいかにつくられた?明治から戦前期の地図や絵葉書、案内書、広告などを探索。
目次
第1章 公園と海
第2章 観光と海
第3章 文化と海
第4章 名所と海
第5章 産業と海
第6章 都市と海
第7章 温泉と海
著者等紹介
橋爪紳也[ハシズメシンヤ]
1960年大阪市生まれ。京都大学工学部建築学科卒業、京都大学大学院工学研究科修士課程、大阪大学大学院工学研究科博士課程修了。建築史・都市文化論専攻。工学博士。現在、大阪府立大学21世紀科学研究機構教授、大阪府立大学観光産業戦略研究所長、大阪市立大学都市研究プラザ特任教授。大阪府特別顧問、大阪市特別顧問、大阪府市文化振興会議会長などを兼務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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yyrn
3
豊富な図版や写真を眺めただけで終わってしまった。図書館への返却期限が迫っていたからだが、じっくり時間をかけて読めば面白い本だったかも。瀬戸内海が国立公園に指定されて80年。どのように人々に親しまれて、また利用されてきたかを明治から戦前までに出されたユニークなパンフレットや絵地図、絵葉書などを使ってマニアックに解説している本です。 2014/06/26
katashin86
0
「瀬戸内海」という名前自体が、明治時代に翻訳語としてできたということが、まず驚きだった。 住んでいる人にとっては、播磨灘と燧灘は別々だったけど、観光舟運の発展や「国立公園」指定によって、外の人にとって一体とものとして「発見」される。それが、住んでいる人にも「瀬戸内海の中の我が町」という風に、地域イメージに影響を与えていく。2015/07/15
深窓
0
もともと各地域ごとに認識されていた「瀬戸内海」が近代になって他地方出身者の視点を通じて「瀬戸内海」として一体化して把握されるようになったことは意外だった。モダニズムといえば、阪神間モダニズムが想起されるが、瀬戸内海の各地方都市でもそれぞれの都市の産業や資源など特性にあわせてモダニズムが発展していった潮流が興味深い。戦前の呉の隆盛が印象に残った。2021/06/08
Takaya Fukuchi
0
主に近代初期の瀬戸内海を観光から見る際、それと鳥瞰図は重宝しそう2018/11/14