出版社内容情報
晩年の講解「詩編90編〈モーセの祈り〉の講話」と,初期の「死への準備についての説教」の代表作をとおしてルターの死生観に迫る。
ルターは青年時代の1505年,激しい雷雨に打たれ死の恐怖を経験したのをきっかけに修道生活に入った。その後も彼の内的危機は深まり,死はたんなる身体的な自然死を超えて,罪の意識と密接に関係したものとなり,死は生きる意味の喪失という霊的な意味で捉えられていく。さらに宗教改革の渦中で,彼にとってつねに〈生が死に取り囲まれている〉状況であった。
律法は「生のさ中にあってわたしたちは死のうちにある」と歌い,福音は「死のさ中にあってわたしたちは生のうちにある」と人びとを力づける。律法と福音の二つの教えを導きに,ルターは死の試練のさ中にあって恵みの神を見いだした。
今日の高齢社会のなかで,いかに生き,いかに死を迎えるかについて深い混迷に陥っているが,死の試練を克服していくルターの経験は,わたしたち現代人に時を超えて訴えてくるに違いない。
マルティン・ルター[マルティン ルター]
著・文・その他
金子晴勇[カネコハルオ]
翻訳
内容説明
晩年の講解「詩編90編“モーセの祈り”の講話」と、初期の「死への準備についての説教」の代表作をとおしてルターの死生観に迫る。今日の高齢社会のなかで、いかに生き、いかに死を迎えるかについて深い混迷に陥っているが、死の試練を克服していくルターの経験は、わたしたち現代人に時を超えて訴えてくるに違いない。
目次
詩編九〇編の講話(主よ、あなたはわたしたちにとり、世々にわたって住処であらせられる。;山々が生まれ、地と世界とが造られる以前に、神よ、あなたは、とこしえからとこしえまでいましたもう。;あなたは人を死にいたらせ、「人の子よ帰れ」と言いたもう。;まことに、あなたの前には千年も過ぎ去った昨日の一日のごとく、夜警の一ときに等しい。;あなたは彼らに大水を流します、かれらは眠りであり、すぐに枯れる草のようです。朝に花を咲かせても、夕べには移ろい、切り取られて、枯れる。;あなたの怒りによってわたしたちは消え失せ、あなたの憤りによって脅かされるから。;あなたはわたしたちの不義をみ前におき、わたしたちの隠れた罪をみ顔の光の中におかれた。;わたしたちのすべての日は、あなたの怒りのうちに消え去り、わたしたちの年の終わるのは言葉のようである。;わたしたちの齢は七十歳、長くて八十歳にしても、その最善のものは、苦悩と疲労であって、年月は速やかに過ぎゆき、わたしたちもまた飛び去る。;誰があなたの怒りの力を知り、誰があなたの憤りを恐れるのか。 ほか)
死への準備についての説教、一五一九年
著者等紹介
金子晴勇[カネコハルオ]
昭和7年静岡県に生まれる。昭和37年京都大学大学院文学研究科博士課程修了。立教大学、国立音楽大学、岡山大学、静岡大学を経て、聖学院大学大学院客員教授、岡山大学名誉教授、文学博士(京都大学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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