内容説明
昭和初期の聞き取り調査から浮かびあがる日本独自の民間教育機関「寺子屋」の真の姿とは。「教師の資格」「謝儀(月謝)」「授業内容」等、現代の初等教育との比較を通し近代教育制度が削ぎ落してきた教育の本義を探る。
目次
第1章 昭和六年、愛知県の全小学校が寺子屋を調査
第2章 尾張西部の寺子屋の謝儀(授業料)
第3章 三河編 物納度と人情が比例するのか
第4章 そもそも寺子屋とは何か
第5章 寺子屋はどこへ行った
第6章 昭和六年の愛知県の小学校のその後
著者等紹介
丹羽健夫[ニワタケオ]
1936年生まれ。名古屋大学経済学部卒業。現在、河合文化教育研究所主任研究員、名古屋外国語大学客員教授。1967年より河合塾勤務。以来一貫してカリキュラム作成、生徒指導、教員確保、生徒募集に従事、進学教育本部長、理事としてその責任を担う。1989年「第二次ベビーブームの子供たちを救え」(朝日ジャーナル、中央公論等)の提案で大学の臨時定員増を促進する。2000年春「大学入試問題作成請け負います」を宣言。そのほか「論座」(朝日新聞社)「文藝春秋」(文藝春秋社)等への出稿、高等学校・大学での講演等をこなし、教育の現場から制度まで教育全般について幅広くメッセージの発信をし続ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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小鈴
25
面白かった。寺子屋の授業料は尾張西部(名古屋含む)ほど金納で、三河の東部は物納。全体として尾張地域は金納率が高く貨幣経済が浸透し、三河は物納。一方で、物納率が高いほど師匠が亡くなると筆子塚がたてられる。物納の方が人情が厚いと推測するが、分からないでもないですよね。士族が運営することの多かった名古屋の寺子屋はその後小学校になって、現在にも続いていく。民営の寺子屋があったからこそ、近代の学校が根づいた。初期は学校も金納だったが、名古屋の寺子屋は金納が多かったので、そのあたりもスムーズに移行できたのだろう。2019/06/08