雑賀一向一揆と紀伊真宗

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雑賀一向一揆と紀伊真宗

  • 武内 善信【著】
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  • サイズ A5判/ページ数 400p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784831862501
  • NDC分類 216.6
  • Cコード C3021

出版社内容情報

紀伊真宗の歴史を探究し、雑賀一向衆の実態を解明して、雑賀一揆と雑賀一向一揆の違いや「石山合戦」における両者の動向を考察する。紀州の歴史、とりわけ戦国・織豊期において浄土真宗は重要な位置を占めている。いうまでもなく、雑賀一向一揆において真宗勢力は中心的役割を担い、「石山合戦」で活躍した。また、日高郡に本拠を置く国人領主で奉公衆の湯河氏とも真宗は結び付き、戦国期紀州の政治勢力として大きな存在であったといえよう。それゆえ、紀伊真宗の開教と発展の歴史を解明することは、単に一宗派の沿革を示すだけにとどまらない重要なテーマである。だが、これまで雑賀一向一揆の論考に比べ、関係の深い紀伊真宗に関する研究は少なかった。そこで、第?部においては、戦国・織豊期を中心とした紀伊真宗史のさまざまな問題を取り扱う。
第?部および第?部では「石山合戦」期の雑賀一向(門徒)衆と雑賀一向一揆を中心に考察した。ここで注意すべきは、雑賀一揆について大きな誤解が存在するという点である。これまで雑賀一揆は一向一揆であるかのように理解されてきた。しかし、雑賀一揆と雑賀一向一揆が同じといえるだろうか。この点を究明するには、必然的に雑賀衆と雑賀一向衆との異同ということが問題となる。この課題を検討したのが第?部である。
第?部では「石山合戦」期を中心に雑賀一揆と雑賀一向一揆の動向を明らかにした。雑賀一揆とは、宗派に関係なく雑賀五組の惣郷・惣荘・惣村を基盤にその代表が一揆を結んだ戦国時代の地域権力であり、一種の郡中惣ないし惣国一揆と考えられる。これに対し、雑賀一向一揆は、雑賀庄・十ケ郷を中心とした個々の有力土豪と雑賀一向衆とによる、天正期に結成された反・信長連合であると定義できよう。つまり、雑賀一向一揆は天正二、三年頃に成立し、天正八年の「石山合戦」の講和で役目を終えたのである。
雑賀一揆について考察するには、守護畠山氏や湯河氏らの国人領主、それに周辺の自社勢力との関係を明らかにしつつ、地域における権力秩序の在り方を構造的につかみ取る必要がある。また、紀州でも雑賀は畿内に隣接し、惣村が発達しており、この地域固有の社会的特徴や雑賀衆という独自の存在形態がどのようなものであったか分析しなくてはならない。さらに、列島全体の中で、あるいは他地方との関係において、紀伊湊が所在する雑賀という地域がどのような位置にあったのか解明することも重要である。
本書が課題としたのは、あくまで雑賀一向衆と雑賀一向一揆の考察である。地域の主体は雑賀一向衆ではなく、雑賀衆であった。しかし、これまで雑賀衆と雑賀一向衆、雑賀一揆と雑賀一向一揆が同じものであるように認識され、議論されてきた。本書ではまずその違いを明らかにするために両者を比較吟味し、戦国・織豊期を中心に、紀伊真宗の開教と発展の歴史を考察し、雑賀一向衆の実態および雑賀一揆における真宗勢力の位置付けと「石山合戦」における動向について明らかにするものである。

まえがき―本書の課題と構成                          

第?部 戦国・織豊期の紀伊真宗
第一章 紀伊真宗の開教と展開―蓮如期を中心に―         
はじめに
第一節 蓮如以前の紀伊真宗―仏光寺教団の開教       
第二節 蓮如期の紀伊真宗―本願寺教団の開教     
おわりに
補論1 蓮如筆「紀伊国紀行」の検討
はじめに
一 高階三子編『蓮如上人紀伊国紀行 附録寺院略記』
二 「紀伊国紀行」の諸本
三 真筆本「紀伊国紀行」
四 問題点―清水出発は「十一日」か「十二日」か
 おわりに
第二章 紀伊真宗と被差別民―実如期の紀伊真宗を中心に―                 
はじめに
第一節 本照寺末寺院の開基
    第二節 本照寺末以外の寺院の開基
    おわりに
補論2 「被差別部落一向一揆起源説」の実証的検討
―紀州那賀郡井坂・蓮乗寺文書について―     
一 「正月廿四日付大田退衆中宛顕如消息」について
  二 「大田退衆中」の意味
三 蓮乗寺所蔵の他の「石山合戦」期の文書
四 蓮乗寺所蔵の方便法身尊像裏書
五 木仏下付の御札の検討
結びにかえて
第三章 雑賀における御坊の成立と変遷     
第一節 御坊の成立と「河内錯乱」・「大坂一乱」
第二節 黒江御坊の形成と管理をめぐって
第三節 御坊山・鷺森への移転
第四節 鷺森御坊の整備と運営
補論3 戦国期の鷺森寺内と宇治
一 鷺森御坊の寺内と鷺森本願寺の寺内町
二 戦国期の雑賀庄宇治

第?部 雑賀衆と雑賀一向衆
第四章 雑賀一向衆の実態―「雑賀一向衆列名史料」の検討―        
第一節 「雑賀一向衆列名史料」について
第二節 史料の内容と時期
第三節 地名の検討
第四節 人名と花押の検討
第五節 付属史料の考察
第五章 雑賀衆と雑賀一向衆            
はじめに
第一節 雑賀衆の実体と範囲
第二節 雑賀一向衆の組織原理と範囲
第三節 雑賀における門徒と非門徒
第四節 本願寺と雑賀衆および雑賀一向衆
おわりに
補論4 戦国期における雑賀五組の境界
一 雑賀一揆とその範囲
   二 雑賀庄と宮郷との境界
三 雑賀庄と十ケ郷との境界
四 他の組の境界

第?部 「石山合戦」と雑賀一向一揆
第六章 天正三年の雑賀年寄衆関係史料            
第一節 史料の紹介 
第二節 四人の雑賀年寄衆
第三節 篠原松満一党と雑賀衆
第四節 岡了順と岡崎三郎大夫
第五節 「石山合戦」と雑賀一向衆
第七章 天正六年の雑賀志衆関係史料           
第一節     第一節 史料の紹介
第二節     第二節 連署者の検討
第三節     第三節 史料の歴史的意味
第四節     第四節 本願寺の門徒統制と雑賀門徒衆
第八章 雑賀衆と「石山合戦」       
はじめに
第一節 「石山合戦」の発端と開戦要因
第二節 「石山合戦」の開戦と雑賀衆
第三節 雑賀衆と鉄砲
第四節 雑賀一向一揆の成立と「石山合戦」
第五節 織田信長の雑賀攻め
第六節 「石山合戦」の終結と雑賀衆
おわりに
 補論5 秀吉の朝鮮侵略における降倭部将沙也可と「雑賀孫市」
      ―鈴木孫一一族のその後―
   はじめに
   一 沙也可をめぐる議論
   二 鈴木孫一と「雑賀孫市」
   三 鈴木孫三郎重朝について
   おわりに
 初出一覧
 あとがき
 索引 

武内善信[タケウチヨシノブ]
著・文・その他

内容説明

雑賀一揆は一向一揆ではない―。雑賀衆と雑賀一向衆とはどのように違い、いかなる関係にあったのか。紀伊真宗の歴史から戦国・織豊期の雑賀一向衆の実態を解明し、通説を覆す。

目次

まえがき―本書の課題と構成
第1部 戦国・織豊期の紀伊真宗(紀伊真宗の開教と展開―蓮如期を中心に;蓮如筆「紀伊国紀行」の検討;真宗教団と被差別民―実如期の紀伊真宗を中心に;「被差別部落一向一揆起源説」の実証的検討―紀州那賀郡井坂・蓮乗寺文書について;雑賀における御坊の成立と変遷;戦国期の鷺森寺内と宇治)
第2部 雑賀衆と雑賀一向衆(雑賀一向衆の実態―「雑賀一向衆列名史料」の検討;雑賀衆と雑賀一向衆;戦国期における雑賀五組の境界)
第3部 「石山合戦」と雑賀一向一揆(天正三年の雑賀年寄衆関係史料;天正六年の雑賀志衆関係史料;雑賀衆と「石山合戦」;秀吉の朝鮮侵略における降倭部将沙也可と「雑賀孫市」―鈴木孫一一族のその後)

著者等紹介

武内善信[タケウチヨシノブ]
1954年和歌山県生まれ。1976年同志社大学文学部(文化史学専攻)卒業。同大学院法学研究科(政治学専攻)博士課程後期満期退学。和歌山市立博物館を経て、現在和歌山市和歌山城整備企画課学芸員。南方熊楠研究会会長。浄土真宗本願寺派善勝寺住職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。