出版社内容情報
「学校崩壊」が叫ばれて久しい。
にもかかわらず、学校は崩壊してはならないものという前提が未来へ開かれた学校への通路を閉ざし、学校を閉塞した〈異空間〉に押し込めている。
新しいオルタナティブな教育理念を作り出すには〈個〉が〈公〉に呑み込まれることを拒否し、〈個〉をいかに徹底して擁護できるかである。
精神医療の役割はその程度のものだといえるし、またそれだけ大きな仕事だともいえるのである。
学校という〈異空間〉と向き合うために!
●はしがき……エクソダス・フロム・ザ・スクール ●高岡 健
■座談会 私たちは「学校の崩壊」にどう向かいあうか
~片桐健司+竹村洋介+藤井誠二+山登敬之
1・学級崩壊・学校崩壊という言葉がネガティブに使われている/2・昔の子どもが学校内存在なら今の子どもは学校外存在である/3・いろいろな人と出会う自由度は増えた/4・小さな宇宙がいっぱいあるということ/5・いじめの後遺症をフォローするシステムがない/6・ADHDという名称による排除と囲い込みが起こる/7・引きこもり現象で煽られる社会的不安への発言が必要だ/8・カウンセラーには信頼できる人が少ない/9・信頼感を生むカウンセリングとソーシャルワークとはどのようなものか/10・教師の崩壊は多いが相互扶助はあるのか/11・事件後の子どもたちに精神的ケアが必要
●学級崩壊とADHD ●石川憲彦
1・始めに/2・学級崩壊とADHDの定義/3・問題意識の所在/4・産業構造の変化と精神障害/5・アメリカ的世界観への疑問
●教員の「立場」とその困難性 ●岡崎 勝
~学校教育の転換期と「学校崩壊」
1・はじめに/2・学校の危機と学校の崩壊/3・「昔はよかった」と語ることにと学校に出会うことの現在の意義
●脱学校化への試行 ●栗栖 淳
1・社会における学校化/2・脱学校化への試行/3・「脱学校化への試行」の可能性
●父性の復権論批判 ●高岡 健
~林道義と河上亮一の小さな転向
1・はじめに/2・林道義『父性の復権』/3・河上亮一『学校崩壊』/4・おわりに
●あとがき ●高岡 健
はしがき~エクソダス・フロム・ザ・スクール
ふるい共同体が退き、新しい共同体が未だ立ち上がらないとき、ふるいものへの愛着を滲ませた言葉が一過性に流通することがある。「学級崩壊」や「学校崩壊」もそのようなものの一つである。
「学級崩壊」という言葉は、遅くとも1994年に北海道と大阪の教師が、ほぼ同時に日記やメモの中で使い始めたという。この言葉が広く人口に膾炙するようになったのは、1998年に開始された朝日新聞の連載など、メディアの報道以降である。狭義の「学級崩壊」は、小学校低学年において、私語や立ち歩きなどの行動のために授業が成立しなくなるような状況を指して用いられることが多い。それに対し、広義の「学級崩壊」は、大学から高校、そして中学校や小学校高学年までを含む、すべての学校でみられる授業の成立困難性を指す。この言葉を嫌う人々は、代わりに「荒れ」という表現を用いる場合があるが、事態はかわらない。
一方、「学校崩壊」という言葉は、1999年に出版された河上亮一による書籍のタイトルとして用いられた。この書籍自体は、河上らプロ教師の会による、管理教育が必要との主張を繰り返したものにすぎない。
いずれの言葉を用い
好評メンタルヘルス・ライブラリーの第9巻です。
目次
座談会 私たちは「学校の崩壊」にどう向かいあうか(片桐健司+竹村洋介+藤井誠二+山登敬之)
学級崩壊とADHD
教員の「立場」とその困難性―学校教育の転換期と「学校崩壊」
社会学からみた学校と子どもの変容と学校システムの存立構造
精神医療関係者の「地域デビュー」をめざして
学級崩壊についての臨床ノート―同僚である教師たちとの対話のための私見
脱学校化への試行
父性の復権論批判―林道義と河上亮一の小さな転向
著者等紹介
高岡健[タカオカケン]
1953年生まれ。岐阜大学医学部卒業。岐阜赤十字病院精神科部長などを経て、現在、岐阜大学医学部精神行動学助教授。日本児童青年精神医学会理事
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