出版社内容情報
50年前、20代で死線を越えていった青年たち。その魂のかけら、あの『きけ わだつみのこえ』をはじめとする遺稿の数々を、1980年代に青春を送った一人の若者が懸命に読み解く。
一人ひとりの懊悩に、あるいは勇奮の気負い立ちに、深く沈潜していくようにして……死者を「記憶」することの真正の意味とは何か。そして「歴史」とは?
消えゆく「戦中派」と、それ以後の世代を架橋する、画期的な試み。
【書評再録】
●朝日新聞評(1993年7月26日)=関係者を訪ね、学徒兵たち一人ひとりの人柄を調べ、何を思って死んでいったかに肉薄。いくつかのユニークな結論を引き出した。
●毎日新聞評(1993年8月9日)=50年前の20代の叫びと死んだ学徒たちの死の意味を考える鎮魂の書。
●毎日新聞評(1993年8月9日)=若い世代が「わだつみ」世代の残した文章にいま接する意味を誠実に考えた本として話題になっている。
●読売新聞評(1993年8月17日)=「きけ わだつみのこえ」を2年かけて読み、死者たちの言葉とその書物がもつ意味を考え直そうというユニークな本。最後の結論が読ませる。
●日本経済新聞「活字のうちそと・井尻千男」(1993年8月8日)=いま30歳の堀切氏が、当時20数歳で死地に赴いた学徒兵の手記をどう読んだか、その率直な記録がこの本である。
●北海道新聞評(1993年8月2日)=「あの戦争とはなんだったのか」を、これほど深く冷静に、誠実に考えてみようとする若者がいることを、戦没学生より約10年下回るだけの旧世代の1人として心強く思った。
●週刊ポスト評(1993年9月17日号)=散った人たちとの澄明な対話。死者たちの一人一人を巡礼することによって、自己変革し、“記憶する”という歴史的感覚を自らのものとしたのである。見事な“読解”の軌跡である。
●日刊ゲンダイ評(1993年8月11日)=戦無派世代が、学徒出陣で散った若者たちの魂の叫びと交感した異色の論考である。
●本の本評(1993年10月号)=重いテーマを扱いながら不思議と読後感がさわやかな今秋おすすめの一冊である。
【内容紹介】本書「あとがき」より
この仕事を引き受けた時、はじめ、これはとてもつらい作業になるのだろうな、と思いました。何しろ、ただ読んで解釈してみせればいいというわけじゃないのだから。50年の時空をこえて、異なった魂の出会う意味を、見つけださなければならないのだからな。そう考えていました。
「これは真剣に向かい合わなければな。『わだつみ』に」そう勢い込んでいました。でも、書いているあいだ、ずっと真剣でいることなんてできるのだろうか?「Don't trust over-thirty」と言いますが、酒も呑めば人間関係でインチキもすれば痴話喧嘩もする実にナマナマしく現在を生きている三十男が。それに、相手は21歳や22歳といった年齢の、新しくしかも死生の悩みを越えようとした魂たちです。途中でぼくは自分が恥ずかしくなって、またもや文庫本を打ち捨ててしまうのではないかしら。
ところが、ぜんぜんそうは行かなかったのです。1行1行を辿ることが、探せばどんどんつながってくる参考文献の橋を渡ることが、新しい発見の連続で、「俺は今までどういう情報環境に生きていたのか」と頭を抱えました。戦後史の中で忘れられ片隅に押しやられていた豊かな水脈が、そこにはあったのです。ぼくははっきりと、それに惹きつけられました。
あの戦争についての認識も、ずいぶんと変わりました。
「あれは単なる侵略戦争なのであってゼンゼン意味ないんだよ!」
「……そうじゃない……」
無口だった父に殴り合いになりかねない論争を吹っかけていた無邪気で残酷な高校生だった頃を思い出します。父はすでにこの世に在りませんが、この仕事のおかげでぼくも、「わだつみ世代」たる父の、遅れてきた理解者になることができたわけです。
そして、さまざまな年齢で戦争の体験をしてきた方たちに対して、繁栄の時代のわれわれがいかに冷淡で無関心だったかということに今さらながら気づかされ、胸塞がるる思いです。
【主要目次】
鎧うこころ/戦場の思索者/戦いはなんのために/死生/うみつちとそらとをつなぐもの
内容説明
「なんとなく」青春をすごした33歳の著者と50年前、20歳そこそこで死線を越えていった健康な若者たち。彼ら若い「死者たち」と、その遺書を通じて親しい関係を築くまでの、めくるめく発見の旅路。
目次
1 鎧うこころ
2 戦場の思索者
3 戦いはなんのために
4 死生
5 うみつちとそらとをつなぐもの