出版社内容情報
★誰もが飢えていた。菜園でさつま芋をつくっていた。
★沖縄戦は最後の局面を迎えていた。
★地方都市は空襲にさらされていた。
★ソ連大使マリクは和平への斡旋をなぜしないのだろうか。
★トルーマンは原爆をどのように使おうとしているのか。
★ビルマ大使石射猪太郎とフィリピン大使村田省三の撤退戦。
★内大臣木戸幸一の軌道修正と歴史を偽る詐術。
……など
【著者紹介】
1929年東京に生まれ、横浜に育つ。日本近現代史および中国現代史研究家。市井の研究家として多数の著作、評論を書き続ける。その歴史を見抜く炯眼ぶりには多くの支持者がいる。横浜文学賞受賞。著書に本書『昭和二十年』既刊12巻、『毛沢東五つの戦争』『横浜富貴楼お倉』『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』『反日で生き延びる中国』(いずれも草思社)、『山本五十六の乾坤一擲』(文藝春秋)などがある。
内容説明
七月一日、高松宮は高輪邸のさつま芋畑で草取りに余念がない。柳田国男、詩人の岡本潤、多くの人が菜園でさつま芋をつくっている。南太平洋の島々に取り残された兵士たちの栄養源もさつま芋だ。沖縄の戦闘は終わった。六月末から七月初めにかけて熊本、呉、下関など地方都市への空襲が始まった。和平への工作は対ソ交渉頼みだが、遅々として進まない。トルーマンはなぜかソ連の対日参戦の正確な日にちを知りたがっている。木戸幸一は早くも戦後の保身のためか「一大貧乏籤」という言葉で自己合理化をはかろうとしている。フィリピン大使村田省蔵、ビルマ大使石射猪太郎の厳しい撤退戦までを描く。
目次
7月1日 さつま芋の恩恵(七月一日、さつま芋畑で高松宮はなにを考えるのか;昨十九年七月七日に高松宮は木戸を面詰した;風見章「敗戦必至とは、今はすでに一人でも疑うものはない」 ほか)
7月1日 天皇、東郷茂徳、米ソの動き(紅葉山を登りながら天皇はなにを考えるのか;昨年六月、高木惣吉は「C.P.を戴く時」と書いた;四月、天皇は「責任をとって辞めない」と言った ほか)
7月2日 木戸「一大貧乏籤」の虚構(未明の空襲、罹災者二十四万人、焼死者三千二百人;「其の信念的意見が那辺にありや」と問う富田健治;木戸幸一と田中新一、この二人がいて ほか)
著者等紹介
鳥居民[トリイタミ]
1929(昭和4)年、東京に生まれ、横浜に育つ。日本および中国の近現代史研究家。横浜文学賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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