内容説明
手紙を通して語りあうことは、面と向って話しあうこととどう違うか。独立した「表現形式」をめざした二冊の対話集の成果を踏まえて、次なる「言葉の運動」に挑戦する。
目次
生身のきみは今、異郷にいてどんなふうに暮らしているのか知らないが…
容赦なく「もうお帰りの時間ですよ」という声が耳のうしろで囁きはじめる。
われわれが疑いつつも信じつづけてきた原理が、もはや現場の混沌を律しきれなくなっている。
全く古典的な「国家」の性格を、僕はささやかな「現場」で確認した。
どんなに人工を誇ろうとも自分の肉体という自然から逃れることができない。
時間も空間も、フィクションの巨大な体系以外の何物でもない。
生の尊厳という言葉には死の尊厳ということも含まれているんじゃないか。
「死の豪華絢爛」と「生の豪華絢爛」が楯の両面であるような世界に生きている人々は、「死」を明るく歌える人々だろう。
この世に生まれたその瞬間から、人間は言葉の海にほうり出されるんだ…
人間万事共同制作という様相を呈してくるのが、ほんとのところ我々の全生活の実態なんじゃなかろうか。〔ほか〕