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沖縄同時代史 〈第6巻〉 基地のない世界を (新装版)

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  • サイズ B6判/ページ数 261p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784773628050
  • NDC分類 219.9
  • Cコード C0331

出版社内容情報

95年の秋に起こった米兵暴行事件を契機として、米軍用地強制使用問題は総理大臣が県知事を裁判で訴える事態に進展した。沖縄が戦後一貫して唱えてきた平和・自立の思想から得るものは何か。本書で日本政治の軟弱さを徹底解明。 【内容】 Ⅰ 混迷する沖縄―反戦反基地の視点から/Ⅱ 沖縄から見た日本の民主主義/Ⅲ 〈核〉問題と日米安保/Ⅳ 琉球弧とマイノリティ/Ⅴ…転換期の沖縄(1995年9月~12月)―安保も基地もいらない




はじめに

[I]混迷する沖縄――反戦反基地の視点から
1 「静かな夜を返せ!」――嘉手納基地爆音訴訟
2 基地が見えなくなってきた
3 いまなお、軍事基地の島なのだ
4 宝珠山発言から見た基地問題
5 「反省と謝罪の国会決議」と戦争体験
6 沖縄の憲法三〇年
7 固定化に向かう沖縄の基地

[II]沖縄から見た日本の民主主義
1 「日の丸焼却事件」判決を考える
 ◆【知花昌一さんへのインタビュー】土地が支える思想――読谷波平への愛着
2 フィクションに挑む者の主体的立場――『ひめゆり忠臣蔵』を読んで
3 兵庫県南部地震と有事立法
4 オウムの憂鬱
5 「平和の礎」問題を考える
6 「平和の礎」とは何か
7 仲宗根政善と反戦地主
 ◆一坪反戦地主会顧問・仲宗根政善

[III]〈核〉問題と日米安保
1 日本復帰と核密約――若泉証言をめぐって
2 核拡散防止条約の不平等性
3 原爆投下と沖縄戦

[IV]琉球弧とマイノリティ
1 北方領土とアイヌモシリ――私的なかかわりを通して
 ◆南と北から見た日本――「北方領土」・アイヌ新法・沖縄
2 ホロコーストとパレスチナ問題<

■はじめに

 一九九三年八月の非自民連立政権の誕生は、東西冷戦体制の国内的反映としての五五年体制の終焉ともいわれたが、それは自民党一党支配の崩壊によって特徴づけられるという以上に、日本社会党に代表される戦後日本の平和運動の解体を意味した。そしてそれは、翌九四年六月の村山自社さ連立政権の成立によって、決定的なものとなった。社会党委員長であった村山首相は、何らの大衆的討議を踏まえることなく、トップ・ダウン方式で、安保反対から安保堅持へ、自衛隊違憲から自衛隊合憲へと一八〇度の転換を行った。それは方針転換の結果もさることながら、その手法について、そこに至る過程の非民主制について強く批判されるべきだろう。皮肉なことに、このわずかひと月足らず前、自民党沖縄県連は、これまでの安保堅持・基地容認の方針を見直すことを決めていたのである。

 一方、合従連衡(がっしょうれんこう)による政権維持、政党勢力の弱体化は、政策決定過程への官僚グループの発言力強化を表面化させたが、九四年九月の、沖縄は基地と共生・共存してほしいといういわゆる宝珠山(ほうしゅやま)発言は、そうしたものの一環といえた。当然この発言は、沖縄の島ぐるみのを支持団体に加え、自主投票の新生党や民社にまで配慮しなければならないとなれば、その主張が玉虫色にならざるをえないのは、当然である。

 革新の保守化以上に特徴的なことは、保守の革新化(?)である。「基地の計画的返還」といった政策が、それを端的に示している。そしてこれは、決して選挙目当ての場当たり的政策ではない。

 すでに自民党県連は、六月十日の定期党大会で、「基地の“整理縮小”論から大きく踏み込む論議を展開し県益優先を貫く」として、従来の安保堅持・基地容認論の見直しを明らかにしていた。また、政府が宝珠山発言の部分的撤回によって問題の幕引をはかろうとしたときの自民党県連談話も注目された。それは、「発言の内容は、防衛関係者の中に紛れもなく存在することを、この際県民はしかと認識すべきと考える。わが県の生き方は百三十万県民自らが選択すべきことを確認する機会にしたい」というものであった。

 しかし、自民党県連は、自らが歩み出したこの路線を貫くことはできなかった。ここでもまた、かつての盟友、民社や新生党に色目を使わざるをえなかったために、「安保堅持」と「基地の計画的返還」という、それ自体矛盾する政策(自民的問題を通してその内実が問われる。そこに政策の焦点を定めれば、選挙も活性化したのではあるまいか。

 安保を実感し得ない人びとの間では、安保「堅持」も「反対」も、たいして差のないことばの遊びに過ぎないが、安保を基地として実感せざるを得ない社会にあっては、それは切実な現実問題である。政界液状化現象は、国と地域社会の間の矛盾を深刻化することにはなっても、それを解消することはありえないだろう。

 この文章を書いていたとき、わたしは一年後の激動を予感していたわけではない。それどころか、知事が地元利害調整役としてコミットするかたちでの基地三事案、骨抜きにされて成立した軍転法、基地の現実と結びつくことなく戦争責任の問題さえ曖昧にしかねない「平和の礎(いしじ)」建立といった状況の陰で、米軍用地強制使用反対の闘いは、これまで以上に厳しい局面に立たされることを覚悟していた。

 しかし、一九九五年九月にまき起こった民衆運動の大きなうねりは、決して偶発的なものではない。その引き金になったのが忌まわしい事件であったとすれば、不幸なことであり、残念なことだが、それが静かだが力強い民衆運動のうねりになっていったのは、それとか、「沖縄との連帯」とかいったことばに隠れて、自らの勢力拡張を意図する革新勢力へも向けられていた。

 第三の波の場合は、日本は、より相対化され、客観化されているようにみえる。そこでは、日本とかアメリカとかいった国家の枠組みをはるかにこえて、より普遍的価値が追求されているように思える。それが人権であり、平和であり、自立である。もう一つ、「民主」を付け加えてもいいかもしれない。

 それはより根源的な直接民主主義の追求である。すでに直接請求権の行使としての住民投票条例制定のための署名運動がすすめられているのもそのことを物語っている。

 さて、沖縄の民衆運動は、沖縄が「本土並み」ではない、ということを明白にした。沖縄を「本土並み」にすれば、日米安保は崩れる。日本政府は、安保を堅持して、沖縄を「本土並み」にするという決して両立しえない課題の前で右往左往している。復帰後二三年は、振興開発計画から軍用地料大幅引き上げまで、金の力でその矛盾を覆い隠してきた。だが、民衆運動の力がそのベールをはぎ取り、日米安保体制の構造を白日の下にさらしてしまった。時代は大きく変わろうとしているのである。

 だからとい

95年の秋に起こった米兵暴行事件を契機として、沖縄では反基地運動が盛り上がった。沖縄が戦後一貫して唱えてきた平和・自立の思想から得るものは何か。「沖縄同時代史」第6巻。