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沖縄同時代史 〈第2巻〉 琉球弧の視点から (新装版)

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  • サイズ B6判/ページ数 238p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784773628012
  • NDC分類 219.9
  • Cコード C0331

出版社内容情報

新崎盛暉沖縄大学教授の著作集第2巻。
 【内容】エネルギー基地化のすすむ琉球弧/沖縄革新の敗北/有事立法を撃つ視点/沖縄大学の改革の試み/孤島の豊年祭/6歳未満の「沖縄県戦災傷害者の会」/沖縄の反戦地主調査/強まる戦争体験の風化/島ぐるみ闘争25周年/復帰10年めの〝共和国〟論/「沖縄自立」への構想模索/奄美との対話/沖縄復帰10年/未契約軍用地の1坪共有化運動 ほか


はじめに

[I]一九七八年
“学力低下”をめぐる論争
名護市が戦車を止めた意味
エネルギー基地化のすすむ琉球弧
退潮する革新勢力
地方紙、二つの視点
交通方法の変更と全軍労
格差解消を訴える奄美住民
沖縄革新の敗北

[II]一九七九年
伊是名島診療所
保守県政を待ち受けるもの
有事立法を撃つ視点
沖縄大学の改革の試み
「保守知事時代」先取りの様相
奄美・沖縄・琉球弧――現代史からの視角
観光のなかの島おこし運動
摩文仁集会と平和学会
孤島の豊年祭
六歳未満の「沖縄県戦災傷害者の会」

[III]一九八〇年
内発的発展を阻む“二次振計”
核燃料再処理工場がやってくる?
「復帰後八年」「安保後二○年」のいま
沖縄の反戦地主調査
 ◆反戦地主の生活と意見
強まる戦争体験の風化
ロマンを求めて集まる本土の若者たち
よみがえる“砂川闘争の時代”

[IV]一九八一年
奄美の島じま
戦後沖縄の負の遺産を背負わされた子ら
島ぐるみ闘争二五周年
西表島の大綱引き
復帰一○年めの“共和国”論
「沖縄自立」への構想模索
いま問われているものは何か――島

■まえがき

 一〇年という時の流れは、歴史的な区切りとして、やはりそれなりの意味を持つのだろうか。日本復帰から一〇年もたつと、何はともあれ沖縄社会もある種の落ち着きのなかにあるようにみえた。沖縄社会は、一〇年という時の流れを経て、ようやく日本という社会、あるいは国家のなかに位置することに慣れてきたのかもしれない。

 そのことを示す資料の一つが世論調査の数字である。世論調査の数字は、民衆の意識状況を知る決定的な資料ではありえないし、それを過大評価することは危険でさえあるのだが、それが世論の動向を知るうえで、ある程度参考になることも否定できない。

 NKHは、復帰直前から継続的に世論調査を行っている。その調査によれば、復帰直前までは、軍事優先の七二年沖縄返還政策の展開によって、かつての復帰幻想は完全に吹き飛ばされていたにもかかわらず、なおまだそこには“異民族支配からの脱却”へのかすかな期待が残されていたことが示されている。しかし復帰後は、「復帰してよかった」とする者の数字と「よくなかった」とする者の数字が逆転し、復帰への否定的評価が肯定的評価を上回る。そこに、復帰後の急速なヤマト(本土)化への流八万四〇四九票対二五万七九〇二票で敗って当選し、六八年の初の主席公選以来一〇年にわたった革新王国は崩壊した。それはまぎれもなく革新の敗北ではあったが、保守の勝利ではなかった。保守側が革新に代わる積極的政策をかかげて民衆の支持をかちとったわけではないからである。

 沖縄では相変わらず、基地をめぐるトラブルが絶えない。県は、頻発する米兵犯罪、軍事演習による事故等に対応するため、米軍および那覇防衛施設局と基地問題連絡協議会(三者協)を発足させるが、そのことによって犯罪や事故が減るわけではなく、米軍基地の維持が安定しただけであった。また、安保容認県政の誕生は軍用地強制使用の行政手続き等を容易にした。

 沖縄から外に目を転じてみると、一九七〇年代末から八〇年代初めにかけての時期には、韓国の朴正熙(パクチョンヒ)大統領が側近に暗殺され、光州事件が起き、全斗煥(チョンドゥファン)大統領が就任するなかで韓国情勢が大きく揺れ、インドシナ半島ではベトナムのカンボジア侵攻があり、アフガニスタンのクーデターにはソ連が介入した。中東ではイラン革命が起きるが、やがてイラン・イラク戦争が始まり、イスラエルがレバノンに侵入するな(しらほ)公民館を中心に、新空港建設阻止委員会が結成されたのも七八年である。七九年からは、「へだての海を結びの海へ」をスローガンとし、各島回り持ちで年一回開かれる琉球弧住民運動交流合宿も始まった。とりわけ奄美の島じまとのかかわりが深くなり、八二年には、名瀬(なぜ)市で発行されている新聞『南海日日新聞』のコラム「つむぎ随筆」を担当することになった。

 しかし、このころからわたしは、大学の改革再建問題にもっとも多くのエネルギーを割かれるようになり、島めぐりも思うにまかせなくなった。沖縄大学は、世替わりの際の大学統廃合問題をなんとか切り抜けたものの、独自の大学存立の意義を社会に提示することができないままジリ貧状態を続け、七八年夏には、給与の遅配欠配まで始まっていた。どん底からの大学改革再建運動が始まり、わたしもその一翼を担ってはいたが、わたしが大学改革・再建を自ら担い切ろうと覚悟を決めるのは、八〇年九月、副学長を引き受けた段階からである。

 一方、復帰一〇年を新たな節目とする米軍用地強制使用に反対する反戦地主を支援し、新しい反戦・反基地闘争をつくり出すために、わたしたちは、「軍用地を生活と生産の場に!」ンタヴュー記事を削除し、『沖縄タイムス』『南海日日新聞』『新沖縄文学』等、いわば内に向けての発言を収録したことにある。第一巻『世替わりの渦のなかで』についても同じことがいえるが、日本と沖縄(琉球弧)の関係、あるいは日本における沖縄(琉球弧)の位置について考えるためには、沖縄(琉球弧)内部に向けての発言と、外へ向けての発言が整合性を持つことが必要だからである。

一九九二年一月

新崎盛暉沖縄大学教授の著作集第2巻。【内容】エネルギー基地化のすすむ琉球弧/沖縄革新の敗北/有事立法を撃つ視点/沖縄の反戦地主調査/強まる戦争体験の風化ほか