内容説明
「一億総白痴化」は「一億総博知化」だった?!テレビは格差社会化を止める教養セイフティ・ネットとなるか。
目次
序章 「テレビ的教養」を求めて
第1章 国民教化メディアの1925年体制
第2章 テレビの戦後民主主義
第3章 一億総中流意識の製造機
第4章 テレビ教育国家の黄昏
終章 「テレビ的教養」の可能性
著者等紹介
佐藤卓己[サトウタクミ]
1960年広島県生まれ。1989年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。京都大学博士(文学)。現在、京都大学大学院教育学研究科准教授。専攻はメディア史・大衆文化論。著書に『現代メディア史』(岩波書店、1998年)『『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性』(岩波書店、2002年、サントリー学芸賞、日本出版学会学会賞)『言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書、2004年、吉田茂賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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軍縮地球市民shinshin
9
テレビのメディア史の本。テレビというと戦後と重ねて考えてしまうが、開発段階・実験段階から本書は書き起していて、戦前から始まっている。また本書はテレビの教育・教養の観点から一貫して論じおり、一時期よくPTAが言っていた「テレビ害毒論」も取り上げている。この害毒論というのも、何回も同じことが繰り返されているのだなと感じた。またテレビ草創期には、情報の平等化がテレビによって起こると期待されており、これなどは現代のネットやスマホに向けられた期待と変わらない。歴史は媒体を変えて何度も繰り返されていると感じた。2016/09/13
猫またぎ
4
すでに前世紀末から地上波の無意味さは指摘されながらいまだ影響力を保持しているのは、記憶を共有したい、いつか歴史になるであろう出来事に、たとえ傍観者であっても参加したい、そんな我々の欲望が発露されているのではなかろうか。2023/04/29
takao
1
ふむ2020/09/04
ぽん教授(非実在系)
1
副題の「一億総博知化の系譜」は、もちろん大宅壮一が一億白痴化と批判したテレビへの批判をもじったものである。NHKの教育番組や放送大学をはじめとするテレビメディアによる教育・教養コンテンツとそれらを巡る言説・政治状況をまとめた内容になっている。 新自由主義改革期以来、公共性が揺さぶられることでテレビ的教養が揺らいできているが、著者はその役割を総括しながらもう一度と言っている。 テレビ「的」教養なので、必ずしもテレビが主体である必要はないのであり、どんなメディアが今後担うのか考えていきたいところである。2014/07/21
八雲
0
社会学のレポートの参考文献でした。テレビを教育にどう使えるかという視点の本で、放送教育がテーマでした。テレビは誰にでもわかりやすく伝えられるメディアなので、テレビを見て学び始めるというかたちが多いと思います。NHKの大河ドラマを見て歴史が好きになったというようなことはいくらでもあり、テレビはとても敷居が低いので、わかりやすくまた関心も持ちやすい。放送教育はそうしたテレビの特性を活かした、知識のファーストステップとして機能していくことが大切のように思います。そのためもっとよい教育コンテンツが求められます。2016/03/22