出版社内容情報
鎌倉時代後も後の日本の歴史を規定した「鎌倉」を考える1.中世後期東国史の大局を語る2.鎌倉の史跡に宿された記憶を掘り起こす鎌倉時代は幕府の終焉で幕を閉じる。しかし「鎌倉」はその後も日本の歴史を規定した。本書では、その鎌倉を2つの視点で考える。第?部では、中世後期東国史の大局を語る。第?部では、鎌倉の史跡に宿された記憶を掘り起こす。
関 幸彦[セキ ユキヒコ]
著・文・その他
内容説明
知っていますか?鎌倉幕府滅亡後の「鎌倉」。鎌倉“通”なら知っておきたい鎌倉府鎌倉公方…武家政権の特別区、鎌倉の奥行きを探る。
目次
第1部 時の記憶(鎌倉府以前―「三鱗」から「二引両」へ;鎌倉府の時代―公方たちの群像)
第2部 場の記憶(鎌倉幕府終焉史跡群;鎌倉府関連史跡群)
著者等紹介
関幸彦[セキユキヒコ]
1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程修了。学習院大学助手などを経て、日本大学文理学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アメヲトコ
9
18年刊。「その後」とは鎌倉幕府滅亡後のこと。以降享徳の乱により鎌倉が「亡所」となるまでの鎌倉の歴史を、京都への「抗心」という図式で、前半は年代記的に、後半は場所に即して論じたもの。場所の記憶に着目した後半は興味深い視点ですが、地図が一枚もないのは残念。また鶴岡八幡宮―若宮大路を平安京の大内裏―朱雀大路に見立てる説にも疑問。2022/02/09
吃逆堂
2
「抗心の記憶」の物語とするというのはわからなくもない。だが、ここ10~20年ほどの研究成果を無視して二次史料を軸に通史を描くものを、今出す意味があるのか。そして、鎌倉幕府滅亡後の鎌倉を「その後」というのは、歴史学者の態度として果たして適切なものなのか。得るものは乏しく、疑念だけが残った。2019/02/10
こまさん
1
「その後」とは鎌倉幕府滅亡後との意味。あとがきでも述べられているように、「物語」的な叙述である。同じくあとがきでも述べているように、『鎌倉大草紙』を中心とした叙述が多い。その点、近年では相対化されつつあった鎌倉府の幕府への“抗心”が全面に押し出されている。『鎌倉大草紙』の再評価は議論があるかもしれないが、現段階での大草紙重視は、「復権」というより「後退」を意味すると思う。2019/01/14