目次
第1章 支倉使節団とは何か(伊達政宗の南蛮交易構想;慶長三陸大地震に襲われた仙台藩 ほか)
第2章 使節団の足跡を訪ねて―月浦(石巻市)からローマまで(宮城県石巻市・月浦;大波に揉まれる北太平洋 ほか)
第3章 サムライの末裔伝説を追って(セビリアでのあるできごと;コリア・デル・リオへ ほか)
第4章 コリア・デル・リオ、二〇一二(遠い日本への想い;郷土史家ビルヒニオのこと ほか)
著者等紹介
太田尚樹[オオタナオキ]
1941年東京生まれ。作家、東海大学名誉教授(スペイン文明史、比較文明論)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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だまし売りNo
19
支倉常長は仙台藩主・伊達政宗の命で大西洋を渡ってノビスパニアに赴き、貿易交渉を行った。さらに大西洋を渡ってイスパニアに行き、ローマではローマ法王に謁見した。当時の日本で画期的なことをした人物になるが、江戸幕府はキリスト教を迫害し、鎖国に転換しつつあり、常長の活動は報われなかった。2021/11/20
さんつきくん
11
1613年、伊達政宗公の命をうけ、石巻市月浦からローマに向け出発した支倉使節団。時代に翻弄され失意の中、帰国した支倉常長公とは別にスペインに残った日本人がいた。支倉使節団に関しては残された資料が乏しいため、完璧に解明はされていない。その分、残された謎が「事実は小説より奇なり」を地で行く物語を紡ぎだした。「我々は侍の末裔だ」と主張するスペイン人がとある村にいた。日本を意味する「japon(ハポン)」を苗字とし、黒髪の頭。幼児期に蒙古斑が出たと言う彼らの存在。スペイン語学者である著者がその謎にあらゆる角度から2014/01/26
カツ
7
遠藤周作「侍」を読んだ流れで。「侍」は全体に重苦しい空気感があったが、こちらはそうでもなく陽気なイメージが感じられた。驚いたのは、スペインのコリアという町にハポン姓の日本人子孫が800人以上も住んでいるという事。支倉使節隊の一部の人間が当地に留まる事を選んだ訳で。帰らなかったのか帰れなかったのか、その心情を思うと感慨深い。2023/01/18
BluePlanet
4
★★★★★2013年8月1日発行。一昨年秋、支倉常長が遣欧使節から戻ってきた後、キリスト教禁止令が出されていたため、人里離れて余生を送った地(宮城県大郷町)にある支倉常長メモリアルパークに行ってきたが、この遣欧使節にこんなミステリアスな秘話があったとは。それにしても、400年経った今もスペインのセビリャ郊外のコリア・デル・リオに日本人の侍の末裔が千人以上も今も住んでいたとは・・・。常長の行程を自分の足で辿り、現地の日本人の末裔たちと交流を深めた著者の行動力には脱帽せざるを得ない。事実は小説より奇なり!2015/02/20
浜町
4
支倉使節がたどった道のりを追いかけていく2章はもちろん面白かったが、私はやはりやはり3章が好き。ハポンさんたちのルーツをさぐる筆者のフィールド調査の道のりは、私も、そのなぞを一緒に解き明かしていく気分にさせてくれた。歴史は現在と過去との対話である。この本はまさに、歴史学とはなんぞやということをハポンさんたちのルーツを追いかけることでわかりやすく教えてくれた本である。2014/02/12