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出版社内容情報
付録 『コンバ』紙発表の論文8本を収録。
増補・新訳。
内容説明
バルトはここから始まった。無名の批評家を一躍フランス文学界に登場させた書物の生成過程を明らかにし、精妙な註を付した、オリジナル版からの明晰な新訳。
目次
エクリチュールとは何か
政治的なエクリチュール
小説のエクリチュール
詩的エクリチュールは存在するか
ブルジョア的エクリチュールの勝利と破綻
文体の職人
エクリチュールと革命
エクリチュールと沈黙
エクリチュールと言葉
言語のユートピア〔ほか〕
著者等紹介
バルト,ロラン[バルト,ロラン][Barthes,Roland]
1915‐1980。フランスの批評家・思想家。1953年に『零度のエクリチュール』を出版して以来、現代思想にかぎりない影響を与えつづけた。1980年2月25日に交通事故に遭い、3月26日に亡くなった
石川美子[イシカワヨシコ]
1980年、京都大学文学部卒業。東京大学人文科学研究科博士課程を経て、1992年、パリ第7大学で博士号取得。フランス文学専攻。現在、明治学院大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
榊原 香織
63
écriture 書き言葉と話言葉が違うフランス語ならではの文体論。 ロラン・バルトの最初の本。 (現代)フランス哲学関係読むと(当たり前だが)フランス語知ってないとな、と思います。訳すと変だし、カタカナだと妙に高尚な(中国武術で普通の動詞を使ってもなにやら秘密めくのと似ている) 2024/02/12
ころこ
21
バルトにとって、エクリチュールとは何か。パロールと対置されたデリダのエクリチュールとは違うようです。本書の前半と後半で、エクリチュールの意味が異なっています。後半は「書かれたもの」、「言われたもの」そのままですが、前半の使い方が興味深いので、前半のエクリチュールを考えてみたいと思います。エクリチュールとは、水平的な言語と垂直的な文体の間にあるもので、それを選び取ることによって世界の見方が決定される。ちょうど、ウィトゲンシュタインの中期にあたる「文法」のように。エクリチュールを選択する瞬間は自由だが、そのエ2018/02/18
ねこさん
14
何を志向するものと規定してそこに自己を存在させるか、それは名辞され得るものだけではないが故に、ほとんど無自覚に選択されている。意志さえ前提や文脈に選択は依拠しており、にも関わらずその選択は対象の有無に関わらず表現を欲している。問題は、自覚性という曖昧さを越えて、個々人の能動性的なふるまいがどれだけ自由であるかだ。透明なエクリチュールを体現すること自体がそれを濁らせる行為だとしても、足跡を残さないようにするのではなく、行為そのものに主体を明け渡すことは可能だ。バルトはその無実態性の美しさに憧れたのだと思う。2017/01/23
松本直哉
14
1848年の革命の辺りを境にしてブルジョワ的エクリチュールが凋落して作家が自らのエクリチュールを試行錯誤せざるを得なくなった状況を、同時代の音楽の、ワーグナーを境にして調性音楽が徐々に崩壊していく過程と重ねて考えることができるかもしれない。当然の前提だったものへの懐疑。作家の数だけエクリチュールが存在するのは20世紀音楽も同じだ。カミュ的な「白い」エクリチュール、価値判断を捨象し、複合過去によりすべてを現在に並置する方法の現代性が少し理解できた気がする。『異邦人』再読のヒントのひとつになった。2016/04/20
吟遊
13
バルトのデビュー作。37歳で出版されたから、当時のフランス思想家たちのなかでは遅い方。肺結核で闘病していたからね・・・。そして、処女作にして一番、難解な本でもあるらしい。たしかに、造語や新しい概念を駆使している。ここでの「エクリチュール」は「言語」と「文体」のあいだにあり、「書き手として持たざるを得ない社会的な立ち位置」のことと言えそうだ。サルトルの影響も濃い(アンガージュマン)。2017/04/06