内容説明
対極の視点から浮かび上がる、生死と宗教の本質、自己のリアル。霊場恐山で出会った二人が鋭く投げかける、現代の危機への思考と言葉。
目次
第1章 出会い
第2章 恐山―死と生の場所
第3章 危機の時代と自己
第4章 生きる世界をつくるもの
第5章 リアルへのまなざし
第6章 生命のかたち
著者等紹介
鎌田東二[カマタトウジ]
1951年、徳島県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程神道学専攻単位取得満期退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科博士課程社会環境生命科学専攻単位取得退学。現在、上智大学グリーフケア研究所特任教授。京都大学名誉教授。放送大学客員教授。博士(文学・筑波大学)。宗教哲学・民俗学・日本思想史・比較文明学専攻。石笛・横笛・法螺貝奏者。神道ソングライター。フリーランス神主
南直哉[ミナミジキサイ]
1958年、長野県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て1984年に曹洞宗で出家得度。同年、曹洞宗大本山永平寺に入山。約20年の修行生活ののち2003年に同寺を下山。現在、福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ichi
21
【図書館本】恐山に興味があったので借りてみましたが、ほぼ仏教についてのお話(対談形式)でした。内容が全く頭に入ってこなく結局流し読みとなってしまいました。2018/01/20
黒猫
21
全ては恐山に行ってからだ。。。百聞は一見にしかず。。。最初の恐山にどんな人がくるのかという話が面白かったです。民間宗教家みたいな人が普通にいるらしい。イタコも割と新しいみたいで、日本の観光化に伴って住み着いたなどのエピソードは興味深い。一方で、道元や親鸞を語る対話は、仏教の歴史をある程度知っていないと、著者の対話に置いてきぼりをくらってしまう。その中でも、南さんの話は分かりやすく理解できる部分がありました。2017/12/23
禿童子
21
鎌田東二さんは初見の方だが、こんな博覧強記な神主さんは見たことがない。『愚管抄』など初耳の話が多くて勉強になった。南直哉さんが子供の頃にぜんそくで苦しんだ体験と、鎌田さんが幼児期に「鬼」が見えていたが10歳のときに古事記を読んで見なくなった思い出など、世代・宗派の違いを超える感性の近しさが感じられた。現代は鎌倉期のような危機の時代、神道と仏教がどう向かい合うかが基本的テーマ。"震災後「自己の存在には根拠がない」という言いかたをするとわかる人間が出てくる"。神道の「むすひ」、仏教は道元と空海の話題が多い。2017/11/03
さっちも
20
苦しいと南さんの本を読む。対象を突き放して明晰判明に切り込んで体系をあらわにする、その思考の作業を追体験すると、とらわれてる事があまり大した事のないように思えて楽になる。絶対的な何かを提示して信じさせよう言うのではなく、ましてや「ありがたい」や「おかげさま」「ありのままで仏様」のような共同体の道徳ではない。私をとりまく状況をうまく現実的に開示させるところに唸らせられる。2019/11/22
田中峰和
9
パワースポットのブームとともに、興味本位で恐山を訪れる観光客も多い。一方、不安定な社会状況と心理的不安から、生と死の境界を感じさせるこの土地に辿り着く人も多いようだ。恐山菩提寺院代を務める南氏と歌う神主鎌田氏が、生と死のテーマから思想や宗教まで、幅広い分野で意見をぶつける。幼児期に鬼が見えた鎌田氏、この鬼こそ死の影だと想像するのは私だけだろうか。自分の存在が無くなる恐怖は鬼より怖いはず。永平寺に出家した南氏だが、そこは僧侶教育機関でありいずれ追い出される。修行を続けたいものはオウムに入信するしかないのか。2018/04/04