内容説明
いつもおもう。人間はなにによって自分を育てるのだろうか。わたし自身は、殺されたり心中したり、逃亡したりした遊女たちの、形容不可能な心と姿にみちびかれ、夕べの海の光や、祖母であった狂女と自分に降った、深夜の雪のようなものに育てられた。貧しい細民たちの住む町に育てられた。そこでは、喧嘩も欲望も、肺病も性病も狂気も、子どもらの前にさらされていた。生と死の境を超えて光芒を放つ人びと。幼児の心の奥底に映った風土の原イメージ。ことばをもたなかったころの人間の五官が捉えていた世界を、幻花の詩句のように透明なことばで紡ぎつづける著者のエッセイ集。
目次
簪
水底の夕昏れ
お初の足のおゆび
鬼女ひとりいて
地母神
父なる思想―林竹二先生の田中正造研究
泉への遡行
赤い苦瓜
人間が懐しい
海辺に巨きな人が―隅本栄一さん
草の向うに―坂本マスオさん
昔の青年団―森山忠さん
花ふれあいて―白倉幸男・なる子さん
雪の降りにも―木下レイ子さん
ニセ釣舟―小崎照雄さん
雪の舞う夜のために―相思社10年
湯のみのはなやぎ
お寺の青年たち
水脈玲瓏―橋川文三先生のこと
「神高い人」を後に残して―島尾敏雄氏を悼む
谷川雁さんへ―『賢治初期童話考』を読んで
『黒い雨』をよむ
三博士の礼拝―ヒエロニムス・ボッス〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
algon
15
標題作は天草出のからゆきさんを追った短編。30数年前の本だが著者50~60歳代のいわば気鋭の時代のエッセイ集。ここで著者は様々な初体験をするが(南西諸島や北海道行き、義太夫節を聴く、お寺の敷地内に住む等)初めてにもかかわらず著わしてくるものは非常に対応に富んでいて驚かされる。この本で初めて著者の並外れた吸収力対応力のヒントが得られたように思う。体験に呼応する葉篇エッセイ集だが読みやすく後半のお寺関係の話もユーモアにあふれ面白かった。特に印象的だったのは終戦時、代用教員時代の教員の有様を描いた「赤い苦瓜」。2022/04/17
勝浩1958
6
女史のような人が多くいらっしゃったら、この世に戦争は起らないだろうと想ってしまいます。「人びとが畑をふんわりと深く耕し上げるのは、生傷の絶えぬ素足の、いいしれぬ浄福であった。(中略)人はもとその素足で、大地に根をおろす種であったのだ。農漁民の五官とは、このような根を持つ感覚をいうのである。(中略)彼らの五官は生きた羅針盤であり、魚類探知器であり、神仏の手になるコンピューターであり、超念力なのであった。」女史の描く民草と暮らしたいという誘惑に駆られます。そして、女史によりヒエロニムス・ボッスを知りました。2014/09/11