内容説明
日本人はなぜドストエフスキイに憑かれるのか。その受容史を介して近代日本の深層に光をあてる。
目次
序章 憑かれた人びと(「日本的近代」の毒;個人と時代の受容 ほか)
第1章 新しき文学の渇望―明治二十五年前後(二葉亭四迷の悲劇;『浮雲』の変貌と中絶 ほか)
第2章 近代の定着と矛盾―明治四十年前後(日露戦争のあとに;『破戒』と『罪と罰』 ほか)
第3章 社会と個人の接点―大正期(最初の全集;白樺派から萩原朔太郎へ ほか)
著者等紹介
松本健一[マツモトケンイチ]
1946年、群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て、麗澤大学教授。近代日本・アジア精神史研究の第一人者として幅広い評論活動を展開。著書に『近代アジア精神史の試み』(中央公論新社、アジア太平洋賞受賞)、『評伝 北一輝』(全5巻、岩波書店、司馬遼太郎賞・毎日出版文化賞受賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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かふ
18
日本人の近代文学の影響はドストエフスキイであるという。それは明治の作家はほとんどドストエフスキイを日本の作家のように読んでいたということなのだが、ドストは他者としての神の問題があったが、日本人は自然を運命として受け入れる漱石の「則天去私」になっていく。罪の告白も自己韜晦と愛の告白になり、自然主義文学の内面の告白となっていく。その例が田山花袋『蒲団』と島崎藤村『破戒』だという。『破戒』は『罪と罰』の翻案として書かれたのだが、個人の罪を社会の罪とした。自然主義文学が内面の告白になって露悪趣味と芥川に批判された2025/05/26




