内容説明
音楽が人間的であった幸福な時代がアウシュヴィッツで終わった。それでもなお人間的であろうとする魂の葛藤がここにある。名著「夜と霧」と対極にある20世紀のドキュメント。ともに音楽に憑かれたドイツ、ユダヤ両民族の、極限状況における愛憎せめぎあうドラマを描くノンフィクション。
目次
“Zu f¨unfe―五人ずつ”
“音楽隊はいるか?”
入隊試験
第五棟
最初の演奏
“まだ八時半だ!”
ムッシュー・アンドレ
同僚たち
“体は休めて、目で働け”
コプカの退場〔ほか〕
著者等紹介
大久保喬樹[オオクボタカキ]
1946年(昭和21年)生まれ。横浜に育つ。東京大学教養学部フランス科卒業。パリ第三大学および高等師範学校に留学。東京大学大学院比較文学修士課程中退。東京工業大学助手、東京女子大学助教授を経て、同大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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がらは℃
21
第二次世界大戦下のアウシュヴィッツ収容所の音楽隊として生きた著者のドキュメンタリー。当事者だからこそか、収容所内の情景や人々について淡々と語られる。そして、その世界での音楽の力強さと無力さに考えさせられる。しかし極限状態でありながらも人が音楽を最後まで捨てる事が出来なかったのは大きな事実であると思う。逆かな、音楽を捨てなかったから人であれたのかな。2010/06/27
テツ
17
アウシュヴィッツ内で組織された音楽隊の一員として死と暴力の嵐の中を生き延びた著者による回想録。生き延びるために楽器を演奏し素晴らしい音楽を生み出す。その芸に守られている自分と薄皮一枚隔てた場所で同胞であるユダヤ人達は殺されていく。きっと人間は誰であろうと機会があれば狂気と殺戮に簡単に酔いしれてしまう。そしてそれに晒された被害者側の人間も生き延びるために狂気に浸っていくんだろう。ホロコーストを生き延びたレヴィナスが彼の哲学に生涯その記憶を刻んだように生き延びたユダヤ人もきっと不当な罪悪感に苦しんでいた。2016/11/23
hutaro
8
アウシュビッツと音楽という不釣り合いなタイトルに惹かれて。音楽は優雅なもの、余裕から生まれるものと思っていたが、それだけではなく、人を慰めるもの、人を鼓舞するものにも使われる。彼ら音楽隊が誰のために演奏していたのかと言うと、自分たちのため(生き延びるため)であり、強制収容所の労働者のためでもあり、カポのためでもあった。万人の上に音楽は等しく降り注ぐ。不思議なものだ。2018/08/20
okk
6
勉強不足なので知らないことがたくさんあった。アウシュビッツはほんとに入ったらすぐ殺されてしまうのかと思っていたけれど苦しいながらも生活していた人もいたんだと知った。とても貴重な話だと思う。芸は身を助けるとはまさにこの事。2020/10/26
ルナティック
5
再読。初読時には感想を書いていない(ようだ)その理由が再読して分かった。私には合わないようだ。著者2人の体験を、一人称の「わたし」の体験記としている。そのため2人のおぞましい体験が、客観視されてしまって、良く言えば冷静、悪く言えば心が裂けられるような体験なのに(申し訳ないが)心に迫ってこないと思えた。確かに音楽家として、特権階級として生き残る確率は高くなるが、作中でも語られているように選別もあれば、“なにかの理由”で死ぬこともある。淡々し過ぎる・・・そうしないと書けなかったのだろうか?とも思えたが。2018/03/02