志賀直哉とその時代

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志賀直哉とその時代

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  • サイズ B6判/ページ数 386p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784120007521
  • NDC分類 910.26

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

カブトムシ

18
戦後はじめての志賀直哉論として注目されるのは、織田作之助「可能性の文学」(改造・昭和21年12月)と太宰治「如是我聞」(新潮・昭和23年3月~7月)の二篇で、ひとしく志賀否定論として、当時のジャーナリズムにも脚光を浴びたもの。しかし、このふたつの否定論は、中野重治の場合と違って、私怨のようなものも多少はふくまれていたかと思われる。それに関して昭和23年10月の「文藝」に発表された志賀の「太宰治の死」のなかにもふれられてある。(p46より)志賀は周知のように太宰の「斜陽」を論評したので、太宰の怒りをかった。

カブトムシ

16
太宰治の「如是我聞」にしても、ヒステリックな調子ではあるが、志賀直哉の文学の弱点と思われるものは精確に衝いている、といえないことはない。ただ「誇張でなしに、血を吐きながらでも、本流の小説を書こうと努め、その努力が却ってみなに嫌われ、三人の虚弱の幼児をかかえ、夫婦は心から笑い合ったことがなく、……短か過ぎるズボンに下駄ばきの姿で、子供の世話で一杯の女房の代わりに、おかずの買い物に出るのである」というような一種泣きごとめいた術懐を、文中に挿んでいることによってなにか女々しい印象を与えるのである。(p47より)

カブトムシ

9
以前に驚いたことは、この本が登録0だったこと。その時には、嘆かわしく思った。日本にあるのは、何か?「ゆとり教育、ダンスばかりがうまくなり」変な川柳ができあがった。もっとも、ゆとり世代に、「ゆとり教育は、僕たちがやったのではなくて、大人がやったのです。」と言われたことがある。ほどほどがよかったのではないか?(以上は、以前の投稿)ゆとり教育は、過去のことになっているが、中学校の歴史の教科書の「大正文化」のところで、芥川龍之介が残って、志賀直哉が消えたのだった。この本の著者は昭和の文学に詳しい文芸評論家だった。

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