内容説明
1993年1月、鷺沢萠は真冬のソウルへ旅立った。祖母の国の言葉を学ぶために。そして、春、桜の季節、町にはケナリ(れんぎょう)の黄色い花が満開だった。濃密な六か月の時の移りゆきの中で、日韓の関係を思い、自分に流れる血を考える。往きつ戻りつする率直で真摯な思索が、自らを問い、隣の国の人びととの新しい未来に向かう長編エッセイ。
目次
序章 コンブハゲッソヨ
第1章 苛々している
第2章 氷の壁―名前のはざまで
第3章 買いかぶってやる
第4章 わたしはずるい
第5章 みんな「事情」を抱えてる
第6章 祖母・父・わたし
第7章 ケナリも花、サクラも花
第8章 牛の一歩と小なさ石ころ
終章 チョム ト・チョム ト
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
金平糖
12
「脱アイデンティティー」で取り上げられていたので読む。父の没後、父方の祖母が韓国人であったことを初めて知る。韓国語学留学を通し考え悩んだりしたエッセイ。「脱アイデンティティー」にもあったが、多くの日本人は自分が日本人であることを意識する機会はあまりないのではないか。血やルーツというのは大きいのか?著者が韓国の事を意識するようになる感覚やこだわりに共感できなかった。韓国では韓国人扱いされず、戸籍上日本人なので在日の人からも自分達とも違うと言われすっきりしない。人は何かに属せないと心は安定しない? 繊細な方。2006/06/30
Ayakankoku
6
鷺沢さんと同じ語学堂で学んでいたため、なんだか親近感が湧きながら読めた。2023/08/23
とまと
2
書くという作業は自分と向き合うことで、逃げることなどできないし、逃げることなどできないから書くのだ。20歳過ぎて初めて自分の血に流れているものを知ることは、幼い頃からそれとして生きることとまた違う葛藤がめまぐるしく自分の中を駆け巡ったことだろう。(葛藤がかけめぐる…?)彼女の切迫した思いが伝わってきた。ブクログで「何かをふりしぼるような」という表現をしている方がいて、それがとてもしっくりきた。ケナリとサクラの場面では、温かい交流で彼女の心がほぐれ、息詰まる感じから解放され喜びが伝わってきて、じーんときた。2012/02/11
おとしん
1
息子の教科書で標題作の抜粋を読んで以来気になっていたエッセイでした。必死に自分と対話するコスモボリタンの姿は痛々しくも感じられる。そう言ったら鷺沢さんにしかられちゃうかもしれないけれど。2009/09/20
Maumim
1
1994年4月11日読了。