出版社内容情報
五来 重[ゴライ シゲル]
著・文・その他
内容説明
「民衆はパンをもとめているのに、僧侶は石を与えている」。日本に伝わった仏教は庶民の間で不安や苦痛、悩みからの救済として取り入れられ、各地で生活や慣習に合わせ独自の発展を見せた。観音さま、山信仰、イタコ、踊り念仏、お遍路さん、お寺と葬式―本来の教義から離れた仏教信仰は、信仰たりえるのか?日本の仏教文化を根本から問い直す。
目次
1 日本仏教の特性(日本仏教と民間信仰;僧侶の肉食妻帯;庵と堂―庶民信仰の寺の発祥;日本仏教と葬墓;日本仏教と呪術;日本の観音信仰)
2 山の信仰(日本の山と修験道;霊山と仏教;高野山の浄土信仰と高野聖;山の薬師・海の薬師;山岳信仰と弥勒菩薩)
3 遊行者の仏教(巡礼・遍路の信仰と歴史;遊行・放浪の仏教;一遍の時宗と融通念仏;遊行の聖と罪の文化)
4 仏教と芸能(仏教と芸能の世界;説経から「語り物」へ)
著者等紹介
五来重[ゴライシゲル]
1908‐1993。茨城県久慈町(現・日立市)生まれ。東京帝国大学大学院修了、京都帝国大学卒業。高野山大学教授、大谷大学教授。博士(文学)。専攻は仏教民俗学。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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松本直哉
26
葬式仏教だの祈禱仏教だの批判するが、いやむしろ庶民は小難しい説教よりもその日の糧、死者の弔いと慰め、病者の治癒をこそ望んでいて、暖衣飽食して立派な寺に住む教団の僧ではなく、自ら手を汚して死者を浄める、半僧反俗で肉食妻帯の、法の埒外に置かれて庶民に溶け込んで生きる私度僧こそが、その望みを叶えてくれるとされた。山伏や苦行僧、高野聖や融通念仏など多岐にわたる主題に共通するのは、教科書の仏教史とは別の、それと並行して脈々と流れていた、仏教以前からの日本人の心性に基づく、より実存的な仏教史の再評価への熱い意志である2020/08/13
mandaraderluste
1
仏教民俗学の泰斗による直球なタイトルの著作。主に寺門向けの雑誌に載ったもので読みやすい。内容は多岐にわたるが、私が気になったのは、五来の問題意識と「地の仏教」の中世から近代に至る馴致の過程との関係である。民官の仏教が併存する中で、近代以降民も官製仏教を内面化している。ここには「日本近代仏教の起源」とでもいうべき大きな問題が存在するのではないか。また個人的には五来が『日本霊異記』を大変重視していることに驚いた。同じ大学にいた父は五来から何か直接示唆を受けたのだろうか。父の著作をいよいよ読まなくてはと思った。2020/08/13
なをみん
0
原本は1985年。「大多数の庶民はその仏教らしからぬ民間信仰的仏教で、日常生活に安心をえて~お寺と僧侶を必要とした」ことについてのいろんな話。現代の自分的にも感覚的にいろいろとしっくりくる説明も多くて興味深い。山に感じる宗教的感覚とか仏教と芸能の話もなるほどと思う。善光寺他、知らなかった近場のネタも多数あって刺激的でした。2023/08/07
Junko Yamamoto
0
苦行、巡礼の意味がわかった。日本人の原点に迫れる!2020/07/26