出版社内容情報
選書日本中世史 第2弾!
可能態としての中世社会
この社会を変えることの困難さ、いまこの社会を生きることの困難さは、「公」が曖昧な形で「私」を包摂しているという、日本社会の<公共性>の構造に由来している。しかし、南北朝と戦国という中世における2つの「変革期」、それはたしかに、社会が変わる可能性をもっていた時代であった。その「変革可能性」が隆起しては陥没していったさまを、深く鋭い歴史学の視線と、きわめて平易で軽妙な語り口とで、あざやかに、そして熱く論じる!
序章 江湖散人の眼――可能態としての中世
第1部 「ケシカラン」世紀の可能性
第2部 戦国時代は人々を自由にしたか
終章 江湖放浪を決意すること――そのさきの近世
東島 誠[ヒガシジマ マコト]
著・文・その他
内容説明
惣村は住みやすいか?都市の空気は人を自由にしたか?―南北朝と戦国というふたつの動乱期にあって、日本型社会の「変革可能性」が隆起しては陥没していったさまを歴史学の視線と平易な語り口で論じる。
目次
江湖散人の眼―可能態としての中世
第1部 「ケシカラン」世紀の可能性(内藤湖南の「近代」とフロイスの「中世」;中世に向かう現代―あなたも君も十四世紀人?;妄想と打算―双面の後醍醐天皇;東アジア史のなかの一三四九―五〇年;一三六七年、二人の公方の死;ある禅僧の諦念―あまりに日本的な…作法;主体なき十四世紀と天皇)
第2部 戦国時代は人々を自由にしたか(閉塞とV字回復の十五世紀;足利義政と寛正の飢饉;都市は生きやすいか;惣村は住みやすいか;埋め立てられる“間隙”―徳川政治の起源;信長は中世を破壊したか;豊臣秀吉が壊し、作り変えたもの)
江湖放浪を決意すること―そのさきの近世(丸山眞男と“文芸的公共圏”;吉宗の時代の災害ボランティア;江戸時代の“読書革命”)
著者等紹介
東島誠[ヒガシジママコト]
1967年、大阪生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。現在、聖学院大学教授。博士(文学)。専攻は歴史学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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