講談社学術文庫<br> 愚管抄を読む―中世日本の歴史観

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講談社学術文庫
愚管抄を読む―中世日本の歴史観

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  • サイズ 文庫判/ページ数 306p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784061593817
  • NDC分類 210.3
  • Cコード C0121

内容説明

大僧正天台座主、歌人、摂関家の生まれという多元的な眼をもつ慈円が、保元の乱以後の「歴史の道理」を見きわめようとした書、『愚管抄』。彼は、世の中の何に関心を持ち、何を歴史と思っていたのか。どのように記述しようとしたのか。鎌倉時代初頭の思想家を通して、歴史を書くことの意味を自らの問題として捉えた著者渾身の書。

目次

1 『愚管抄』を読む
2 『愚管抄』を概観する
3 歴史を見る
4 歴史を書く
5 歴史をとらえる

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

寝猫

30
こちらは慈円の事について詳しく書かれています。 なかなか訳するのが難しい本だったようですね。 時代が大きく動き価値観が変わってゆく時を生きた慈円。 北条政子と同じ頃生まれ死した人。 今の時代にも当てはまるところもあり、興味深かったです。 こういう歴史書が残っていて、一般人のわたしにも読めるようにしてあるって凄いな。2022/09/02

しんすけ

6
道理とは何か。それは慈円の自問ではなかったか。最近になって『愚管抄』の根底に慈円自身の逡巡があるように見えてきた。それだからかだろうか。積年の問いへの解が得られる感も生まれたように感ずる。『愚管抄』の主題は「道理」である。しかし「道理」についての明快な解は一切ない。それが『愚管抄』の魅力の一端を占めているのは不可思議である。読みづらいうえに、理解できない箇所も多い『愚管抄』がなぜ50年近くもぼくを惹きつけてきたのだろうか。2017/11/12

きさらぎ

6
関白藤原忠通の息子で、幼い頃に叡山に入り、4度天台座主になった僧慈円による史書『愚管抄』を、その出自、人となり、時代性、『方丈記』(長明と慈円は同年生まれ)『神皇正統記』との比較などによって丹念に読み解いた、「十数年にわたる読書体験記」(筆者)。世俗化した叡山の長として政治に関わりつつ、護持僧として神仏や怨霊といった冥界を見据える慈円。武者の世へと移りゆく平安末期に、摂関家(九条流藤原氏)・貴族文化・旧仏教の側にある慈円が、時代の推移の背後にある「道理」を何とか見定めようとする苦闘を追体験する気分になる。2017/05/04

isao_key

6
『愚管抄』について著者は、日本の古典の中では、その名のみ高く読まれることのまれな書の代表的なものという。理由について、独特の文章で書かれていてかなり読みづらく、末法の世における歴史観を最もよく現した書であるなど喧伝されすぎていて一般の人々には近づきがたい古典であることを挙げる。なるほど確かに一文が長く、主文も不明瞭である。同時代の同じ歴史書の『神皇正統記』は、不完全ながらも儒教的な政道の原理によって、政権批判を展開しているといい、『愚管抄』は、はるかに伝統的、日本的な歴史観の色濃い歴史書であると述べる。2014/07/07

mk

3
日本中世思想史の大家による『愚管抄』入門の書にして、同時に決定版。日本史上の数ある歴史書のうちでも屈指の悪文に数えられるこの書物の作者に転移して、なぜこの文体か、を執拗に考える著者の格闘を追体験できるドラマがある。慈円の「道理」はまずもって摂関家(実家)の「道理」であり、天台最高峰の座主の立場から発する仏法の「道理」でもあるが、その所以を噛みしめるように読み解く。最終盤に配置された神皇正統記との比較論に及んで、慈円を取り巻く個人的環境から叙述の視野が一気に開け、鳥の眼の境位へ連れて行かれるのもまた快い。2016/12/25

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