内容説明
戦後日本はなぜシベリア抑留者の補償を拒否し続けたのか?国会で否定され裁判で何度敗れても、不屈の闘志で運動を続け、ついに補償を実現した抑留者たちの戦後史。
目次
第1章 シベリア抑留の概要と初期の運動(ソ連参戦と敗戦後の関東軍と大本営の対応;ソ連による「捕虜」使役の動機とシベリア抑留決定の状況;抑留の実態;帰還について;シベリア抑留者による初期の運動)
第2章 起ち上がる抑留者たち(補償運動のはじまり;全抑協(会長・斉藤六郎)初期の活動
裁判闘争の開始―提訴から一審判決まで
政府による戦後処理の見直し
あらたな証拠と運動の国際化―二審敗訴(1993年3月5日)から最高裁請求棄却(1997年3月13日)まで)
終章 戦後における抑留者たちの運動とその後(全抑協運動の特質と日本国家の論理;補償実現への道程)
著者等紹介
長澤淑夫[ナガサワトシオ]
1957年生まれ。千葉県立浦安南高校教員。千葉大学博士課程。専門は日本現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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航
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全体的に全抑協万歳の感が否めない記述。「全抑協はよくやったが、政府も裁判所も理解がなかった」とでも言いたげで、全抑協の運動への反省が充分でない印象。資料を全抑協発行のものに多く負い、聞き取りも全抑協関係者から行っているせいかもしれないが、考察部分は再検討が必要な箇所も多そう。しかし長期にわたる国会議事録・裁判記録をコンパクトにまとめている点で、資料集として活用できるかも。2015/07/12
templecity
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◎シベリア抑留の実態は正確には分かっていない。ソ連も国際法違反であることは意識していた。そもそも武装解除しているのに襲撃したり、市民の家に乗り込んで狼藉を働くなど言語道断。戦後の悲劇である。抑留そのものも国際法に反している。 2018/02/21