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内容説明
敗戦から約半年経過した昭和21年2月3日、旧軍人を含む一部日本人が共産軍司令部を攻撃。その巻き添えをくって殆どの成人男子が逮捕され、街は阿鼻叫喚の坩堝と化した。処刑されたり獄死した者は1千人といわれる。遺体は車に丸太のように積み上げられ凍りついた川面に投げ捨てられた。
目次
1 通化事件まで(通化第125師団;関東軍総司令部参謀・草地作戦班長;東辺道の虹;満州製鉄株式会社;藤田首謀説に異議あり;石人鉱業所・大塚伝治所長;石人八宝分坑・捕虜収容所;日本人民解放連盟;事既に此処に至る、決行以外に途なし;延安からきた政治委員・杉本一夫)
2 通化事件〈昭和21年2月3日〉(中山隊、公安局攻撃の顛末;計画されていた後続部隊;二道江に届けられた密書の行方;藤田大佐の最後;二股かけていた林航空隊;残留家族;小学生の体験した通化事件;日本帝国主義最後の抵抗)
3 引揚げ(信じられていた昭和天皇の退位;中国に残留を命じられた青年たち;通化第一陣の引揚げ記録;4つの遺骨を胸に引揚げてきた子供たち;満州国の要請に該当するのは君だ;初めて実現した通化への旅;満州が郷愁のみで語られる時)
感想・レビュー
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1946年2月3日、旧満州。 第二次大戦終結後、旧満州に降り残された(棄民)日本人民間人+少しの関東軍で八路軍(中国共産党軍)に武装蜂起した事件。 日本側攻撃隊400人はほぼ全員死亡。 翌日、通化の町で3000人規模の人間が取り調べで収監され、ほとんどが処刑されたらしい。 驚愕であるが、突撃に加わらなかった 事件のリーダであった藤田大佐が、3月中旬に市内の百貨店のショーウインドーに「通化事件戦利品展覧会」として、生きたまま立たされて晒し者になって謝り続けたというのは事実のようである。->その後肺炎で死亡2016/07/10