大衆紙の源流―明治期小新聞の研究

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  • サイズ A5判/ページ数 296p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784790709626
  • NDC分類 070.21
  • Cコード C3021

内容説明

ふりがな新聞が拓いたメディアの近代。挿絵と総ふりがなにより、商品としての新聞と読書する大衆への道を見いだした小新聞(こしんぶん)の実証的研究。

目次

第1章 小新聞とは何か
第2章 小新聞と識字階層
第3章 小新聞の文体と言語空間
第4章 錦絵新聞から絵入り小新聞へ
第5章 初期小新聞にみる投書とコミュニケーション
第6章 明治初期の言論統制と小新聞の筆禍
第7章 『いろは新聞』にみる明治十年代半ばの小新聞
第8章 政党系小新聞にみる明治十年代後半における小新聞の変貌
第9章 大阪における小新聞の展開
第10章 小新聞の新たな試み―初期の『都新聞』と『やまと新聞』
終章 小新聞の終焉と大衆紙の始まり

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

AKa

3
江戸の戯作文化を受け継ぎ、そして政治的行為でもあった文芸が、民権運動が盛り上がる明治13年を境に非政治的なものへと変化して行く姿は、現代の政治社会運動の活動内容やその評価点である「まじめさ」につながるものであろう。(ただし、民権家たちはユーモアの重要性を訴えてもいたのだが)。終章の「(大衆紙は)知識人の知性や理想が大衆の持つ常識や日常性と出会いら衝突する波頭のような場所」という指摘は、インターネットにも大いに当てはまる指摘であろう。それ故に、大衆紙は「現在形で問われ続けるべき対象」であることは間違いない。2019/07/12

AKa

3
明治の大新聞/小新聞は海外の高級紙/大衆紙的な要素をを持っていたが、結局啓蒙意識や平等意識、そして「不偏不党」の中立性によって両者が接近して国民型大衆紙となっていった。興味深いのが、その接近における大阪の役割である。東京の新聞はまず主筆の論説ありきであり、小新聞においては戯作者が記者となっていたが、大阪の方は戯作文化が薄いために大新聞/小新聞の記者との境界が明確ではなく、かつ出資者の立場が強かった。それに加えて経済情報重視の傾向もあり、報道新聞化がいち早く進み、二大全国紙を生み出すこととなったという。2019/06/20

rbyawa

1
i014、大衆文化研究にはそもそもまず外れはないものの、どの本もまあ大変そうだよなぁ、この本では識字率を調べた調査から準識字率という概念を打ち立ててその層に対してコミットしたのが「小新聞」という大衆新聞であってそのスタイルの変遷を外部の情報から類推してたんですが、その後、政党系小新聞が生まれて廃れ、最終的に大新聞と合体して境目がなくなるのだとか。これだけ足掛かりがしっかりしてるとこの後の研究が楽しみなので続いてて欲しいなぁ。しかし、よく考えると仮名垣魯文とその弟子たちの衰退と共に役目終えてないかな小新聞?2018/06/01

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