内容説明
日本はいま、民主制から独裁制に移行しつつある―著者初の本格的憲法論。日本の民主制と憲法の本質的脆弱性を考える。
目次
1 「日本国民」とは何か(神戸憲法集会について;公務員には憲法尊重擁護義務がある;敗戦国の中での日本の特異性;日本国憲法のもっていた本質的な脆弱性;憲法九条にはノーベル平和賞の資格十分;憲法の主語はそれにふさわしい重みを獲得していない)
2 法治国家から人治国家へ(法治から人治への変質;株式会社的マインドが日本人の基本マインドに;メディアが方向づけした「ねじれ国会」の愚論;国家の統治者が株式会社の論理で政治を行うことのいかがわしさ;「日本のシンガポール化」趨勢)
3 グローバル化と国民国家の解体過程(自民党改憲草案二二条が意味すること;グローバル資本主義にとって障害になった国民国家;「日本の企業」だと名乗るグローバル企業の言い分)
著者等紹介
内田樹[ウチダタツル]
1950年生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。武道家(凱風館館長、多田塾甲南合気会師範)。神戸女学院大学文学部名誉教授。『私家版・ユダヤ文化論』で第6回小林秀雄賞、『日本辺境論』で2010年新書大賞、第3回伊丹十三賞を、それぞれ受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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よこしま
35
憲法を軽んじてること、国の株式会社化。◆内田先生が招かれた2014年5月の神戸憲法集会。ここから盲点が見受けられます。神戸市と市教育委員会が後援を拒んだこと。憲法99条「〜国務大臣、裁判官、その他公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ」。現政権だけでなく、公務員まで憲法違反です。◆9条などを破棄し、戦争が可能で人権の保障もない改正案の102条では、日本国民全員が擁護する必要がありと。前後者、どちらを選びますか?◆会社にいる身、上層部の意見が強く反映されます。この常識が憲法にまで及ぶのは危険です。2015/06/04
壱萬弐仟縁
31
公務員には憲法尊重擁護義務がある(17頁~)。内田教授は、自民党憲法草案と日本国憲法の相違は、生身の主体の有無と解釈している(22頁)。 憲法九条にはノーベル平和賞の資格十分(38頁~)。今年はマララさん。 来年は九条でもいいかもしれない。どの国でも、憲法の文面に登場する制定主体は空語(47頁)。民意をマスコミが曲解し、あたかも政府はそれを鵜呑みにし、政府は国民に責任転嫁してくる。国民は民生安定を望んだのに。 経済成長一辺倒ではない。ここに齟齬を生んだのだった(66頁)。 2014/10/18
ゆう。
20
著者の憲法論です。著者は、護憲の立場として、日本の民主制と憲法の本質的脆弱性について深く考えるべき時がきていると言います。そして、日本国憲法は忍耐強く現実化するための動機づけが足りない「空語」だと指摘します。この指摘は、国民の手で憲法を生活の中に生かしていく努力がより一層求められていることを示していると思います。それは、著者が憲法9条がノーベル平和賞を受賞した場合、それは日本国民の歴史的努力だと言っていることからも言えると思います。また自民党憲法草案についても批判的に検討しています。とても読みやすいです。2014/08/25
mit
18
内田サンは本書でも斬れ味鋭く、後半では余分に斬り過ぎている感がある。興味深かった視点としては、今の日本人の基本マインドは株式会社的となり、政治家も国民も、政治に対して民間会社のような効率性を求め、CEOとしての首長は民主政治のプロセスを無視し、成果はマーケットの判断としての次の選挙で評価してくれといった風潮になっていると言う。政治は株式会社の有限責任とは異なり、将来に対して無限責任を負うことが分かっておらず、この「政治=経営」という発想こそ「平和ボケ」の症状の最たるものであるとする。2014/08/14
ケディーボーイ
12
現代日本人の多くは国家システムを株式会社だと思っている。 しかし判断ミスで損害が発生した場合の責任は株式会社なら有限だが国家は無限であるため、本来ならそれらを同一に論じることはできない。 だが「株式会社のサラリーマン」のものの見方を深く内面化してしまったせいでそれに違和感を持たなくなってしまったと著者は言う。 もちろんある程度必要な合理化などは行わないといけないが、「民間ならありえない」と言う言葉に引っ張られてなんでも会社のようにしていくのはたしかに問題がある。2020/10/29